メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの人たちの祖国愛/トルコの政教分離

1994年頃、実業家のジェム・ボイネル氏が明らかにした話を新聞の紙面から読んだだけで、典拠を確認したわけじゃないが、救国戦争を指揮した軍人でもあるイスメット・イノニュ大統領(1884年~1973年)は、次のように語ったことがあるそうだ。
「我が国民に、国の為に、毎日、井戸へ行って水を汲んでくれと命じても、一週間ぐらいしか続けられないが、国の為に死んでくれと命じれば、直ぐに命を捧げてくれる」
ジェム・ボイネル氏は、この言葉に続けて、「為政者に、もうこんなことを言わせてはならない」と述べていた。
トルコの人たちの勇敢さは、国土を守ろうと立ち上がった救国戦争のみならず、渋々派兵に応じた朝鮮戦争でも大いに発揮されたという。7月15日のクーデターを阻止した市民の勇気も記憶に新しい。
これは、イスラム教が聖戦における死者を「シェヒット(アラビア語のシャヒード)」、負傷者を「ガーズィ」と言って称えていることと無関係ではないように思われる。
トルコでは、軍人や警察官が殉職すれば、それは皆「シェヒット」として称えられる。7月15日のクーデターに立ち向かって犠牲となった人々も「シェヒット」であり、彼らには、永遠の生が授けられたそうだ。
イスラム系のテロ組織も、もちろんこの概念を利用している。自殺が厳禁されているイスラムで、「自爆犯」が「シェヒット」として認められるのかどうかは解らないが、教義など自分たちの都合で如何様にも解釈できるのだろう。
それよりも、イスラム学者のエクレム・デミルリ氏が論じているように、新しい時代に合わせて行く更新を怠ったイスラムの非生産性が、経済等の面で西欧との間に格差をもたらし、これに対する怨望が、テロを作ってしまったような気がする。

そのため、デミルリ氏は、「ムスリムの社会は、ヨーロッパの変化に合わせて行かなければならなかった」と述べているけれど、この変化の中には、政教分離、民主主義、自由といった概念も含まれているのではないかと思う。
トルコは、オスマン帝国以来の西欧化の中で、そういった概念を取り入れながら、現在に至った。この歴史を放棄しようとすれば、社会は混乱に陥ってしまうに違いない。
トルコの人たちが、「法律」について何か語った場合、それは、かなりイスラム的な人であっても、西欧の法律をベースにした現行法のことであり、「イスラム法の復活」などと言われても、何だかリアリティーが感じられない。
例えば、日本で「武家諸法度を復活させる」なんて叫んでも、冗談としか思われないだろう。歴史的な背景が異なるから、比較してはいけないが、これに近い感覚かもしれない。
現在のトルコは、以前の無理に脱宗教を強いる政教分離ではなく、政教分離に基づく民主主義の中で、イスラムの教えを活かそうと模索しているのであり、この政教分離は、他のイスラム教の国々にとっても、モデルに成り得るような気がするのだが、違うだろうか?
それから、クーデターの阻止に示されたトルコの人たちの勇気だけれど、あれには、もちろん「シェヒット」に象徴されるイスラムの信仰もあったに違いないが、民族主義的な「祖国愛」が大きく作用していたように思えてならない。
トルコの人たちが「ヴァタン(祖国)」と言う時、分割の危機にさらされ続けた歴史の追憶が蘇るのか、何か特別な思いを込めているように感じてしまう。この祖国愛、民族主義に、エスニック的な要素は少ないだろう。「この大地で共に生きる者たち」といった感じじゃないかと思う。
もちろん、祖国愛は、「毎日、井戸の水を汲み続ける」ためにも発揮されないと困るが、産業化に立ち遅れていたイスメット・イノニュ大統領の時代とは異なり、人々の勤勉さでも、今のトルコは、欧州にそれほど引けを取らないはずだ。