メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

様々な左派革新/トルコと韓国

現在、トルコの人々は、極端な左派革新の共産主義者や極端なイスラム主義者、あるいはクルド等のエスニック的な民族主義者でもない限り、建国の父アタテュルクに一定の敬意を表していると思う。 

しかし、保守的・イスラム的な人たちがアタテュルクを「救国の英雄」と認めているのに対し、左派革新の人たちは「革命家」と呼んで敬愛して来たようだ。アタテュルクはオスマン帝国以来のイスラム的な伝統を打破して、新しいトルコを創造したと言うのである。 

アタテュルクの意志に最も忠実な組織とされる軍にも、アタテュルクを「革命家」と呼ぶ将校は少なくないだろう。かつて軍は、脱イスラム・西欧化の象徴のように思われていた。 

一方で、軍の中には、オスマン帝国以来の軍楽隊メフテルの伝統を守り続けた将校もいたのである。メフテルにはイスラム的な雰囲気も漂っている。 

もっとも、軍が脱イスラム・西欧化の象徴であるかのように思われていた時期でさえ、突撃する際の「鬨の声」はオスマン帝国以来の「アッラー!」だったという。 

トルコはなかなか杓子定規に考えられないような気がする。 

以前は、左派革新が却って国家主義的な体制派であり、保守的・イスラム的な人たちは反動勢力と見做されたりしていた。この様相も大分変ってきている。 

政教分離主義やイスラム主義といったイデオロギー論争が収まり、トルコ共和国政教分離による民主主義の国家であり、尚且つ国民の殆どはイスラム教徒に数えられるものの、信仰の度合いは各々異なっていて、無信仰な人もいればイスラム的な人もいるという事実が当たり前に認められるようになった。 

今や国家主義的な体制派の中には、左派革新もいれば保守的・イスラム的な人たちもいるのではないかと思う。とはいえ、この左派革新も、日本のイメージとは大分異なっている。左派革新が軍を熱烈に支持していたりするのである。 

ところで、韓国の左派革新は、日本と同様、軍事政権を激しく嫌っているけれど、やはり日本とは相当異なっているはずだ。 

私が韓国語を学んでいた88年頃、日本の保守的な識者が「韓国では軍事政権こそが革命的であり、左派革新はそれに対する反動勢力である」というように論じたりしていた。 

軍事クーデターで政権を掌握した朴正煕大統領は、儒教的な伝統を打破して、新しい韓国を創造しようとしたのかもしれない。その語録の中に以下のような言葉もあった。(例によってうろ覚えだが・・・) 

「日本には鍛冶という姓もある。鍛冶という職業を誇っていたから、この姓を名乗ったに違いない。我が国では自分の職業に誇りが持てず、その姓も李とか朴とか意味のないものばかりである・・・」 

韓国の人たちの伝統的な姓氏に対する拘りを考えたら、とんでもない発言と言えるのではないだろうか? 

現在でも、左派革新とされている曹国氏などを見ていると、なかなか儒教的な伝統に沿った人物のように思えてしまう。朴正煕大統領らが創造した「新しい韓国」は今やその岐路に立たされていると言っても過言ではないかもしれない。 

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