メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

職業に貴賎あり?

 27年前、韓国には、何世代も続く老舗の料理屋といったものが、まず見当たらなかった。美味しい料理で繁盛しても、料理屋なんて自慢になる仕事じゃないと思っているのか、一定の資金が貯まると、それを元手に不動産業などを始めたりした。
日本の感覚だと、老舗の料理屋のほうがよっぽど自慢になりそうだけれど、当時の韓国では、この感覚がなかなか理解されなかったらしい。5代も6代も続いている“お蕎麦屋さん”なんて言ったら、「何世代もその境遇から抜け出せなかったとは可哀想な・・・」と哀れむ人たちがいたかもしれない。そのぐらいだから、子供たちにはとにかく良い教育を与えて、自慢できる職に就いてもらいたいと願っていたのだろう。
そして今は、この“自慢できる職”もかなり多様化してきたと言われているが、かつては、大学教授とか官僚、大企業の幹部等に限られていたのではないかと思う。汗を流したり、他人に頭を下げたりする仕事には屈辱を感じている人さえいたような気がする。
仕事先から作業服で帰って来る男性の家族に、「お父様は何をされているんですか?」と訊いたら、「役人です」と言われて、なんだか気まずくなったこともある。
「うちは代々両班でした」と何かにつけて家系を誇る人も多かった。疑ったら悪いけれど、ごく普通の庶民が「ご先祖に政治家がいた」などと話すのをあちこちで聞いてしまうと、『皆本当だったら、この国は政治家ばかりじゃねえか』と思ったりした。
しかし、実際に名門の出身で、その頃も優雅に暮らしていた方から「ご先祖の話」を滔々と聞かされた時も驚いた。日本でそういう家の人たちは、かえって余り語りたがらないのではないかと思うけれど、韓国では何処の家にも“族譜”という家系を明らかにした本があるそうだから、家の歴史として当たり前に話せるのかもしれない。
私が韓国語を勉強していた延世大学語学堂のY先生は、“文禄慶長の役”の時代に朝鮮の宰相として活躍した人物の子孫にあたるそうだ。
当時、韓国には、外国から韓国語を学びに来た人たちへ、韓国の由緒ある文化と言葉を伝えなければならないという思いがあったのか、語学堂で講師を務めている先生方は、少なくとも延世大学の卒業生であり、皆家柄も良かったらしい。
Y先生もそんな気品が感じられる30代半ばぐらいの女性だった。ある日の授業中、Y先生は黒板に家系図を書き、“文禄慶長の役”の時代の宰相から何代目の子孫になるのかを示して、「Y氏には一つの系統しかないため、韓国でYという姓を持つ人は、皆親族ということになります」と明らかにした。 
私はこれを聞いて、Yという韓国人のボクシング世界チャンピオンが頭に浮かんだから、思わず手をあげて、「先生、それではY某氏も、先生の御親戚ということですか?」と質問した。
すると、Y先生が訝しげに、「そのY某氏は、いったいどういう方ですか?」と訊き返したので、嬉々として「ボクシングの世界チャンピオンです」と答えたら、途端に凄く嫌な顔をして、“パス!”という風に手を振り、「さて、次は教科書の何ページ・・・」と授業に戻ってしまった。
しかし、あれでは世界チャンピオンも何だか可哀想である。