メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコと日本の保守と革新

昨年、トルコを訪れていた日本の方から、「保守とは何であるか解りますか?」と訊かれて、答えられずに、「何ですか?」と訊き返したら、次のように教えてくれた。
保守とは伝統を守ることだが、そのためには現状に合わせて、少しずつ部分的に伝統を変えて行かなければ、結局、維持できなくなってしまう。革新には守るべきものがないので、変わる必要がない。日本の革新は戦後一貫して同じ姿勢のままである。しかし、保守は常に新しくなっている・・・。
おおよそこういう論旨ではなかったかと思う。私は、これをトルコの保守と革新に置き換えて考えながら、『なるほどなあ』と納得してしまった。
保守的なAKP政権、そしてエルドアン大統領は、僅か3~4年前と比べても同じではない。20年以上の長期間で見たら、それこそ信じられないくらい大きく変わった。
ところが、左派革新の中には、未だにアタテュルクの理想を繰り返し唱えている人たちがいる。アタテュルクが亡くなった1938年で時計の針は止まってしまったかのようだ。
一方で、保守と革新の違いを、政権党と野党の立場から説明することも可能だろう。
エルドアン大統領は、イスタンブールの市長に当選して以来、現実対応を迫られるようになる。AKPが政権に就いてからは、さらに変わらざるを得なくなった。
例えば、AKPと袂を分って、野党のまま残ったイスラム守旧派は余り変わっていない。万年野党の革新CHPも、現実に対応する必要がないため、同じ姿勢を貫くことができた。
非常に保守的なイスラム主義者のジャーナリストであるアブドゥルラフマン・ディリパク氏は、7年ほど前、ヘリン・アヴシャル氏(左派革新・女性)によるインタビューで、「AKP政権は、トルコを何処へ連れて行くのですか?」と問われて、こう答えている。
「AKP政権に限らず如何なる政権も、一つの社会を前進させることもなければ、後退させることもない。社会は、それに相応しい形で生きる」
革新の人たちが、その思想によって社会を導き、変えて行くことができると考えているのに対して、ディリパク氏は、それが容易ではないと言いたかったのかもしれない。

保守を標榜しているエルドアン大統領は、「信仰に篤い新世代を育てたい」とか「女性は結婚して少なくとも3人は子供を産むように・・」とか、様々な主張を掲げているが、次男のビラル氏は、モンテッソーリ教育などという新しい教育システムにも取り組んでいて、13年以上の結婚生活で、子供は未だ2人しか授かっていないらしい。
次女のスメイエ氏は、三十路を越した今年になって漸く結婚している。どうやら、「高学歴の女性は晩婚になる」という通説は、概ね正しいようである。

このように、一個人の家庭でさえ、なかなか主義主張通りには行かないのだから、大きな社会を変えて行くのは、やはり難しいだろう。そうであれば、変わる社会の現実に、自分たちが対応して行かなければならない、ということではないのか?
だから、私は、日本でもトルコでも、大概、どちらかと言えば保守支持である。とにかく現実には対応してもらわないと困る。
ところが、日本では保守支持の人が、トルコへ来ると革新のアタテュルク主義者と意気投合したりしていたので、時々解らなくなっていた。
これには、アタテュルクが明治天皇になぞらえたりしていた影響もあっただろうか? しかし、アタテュルクと大久保利通を対比するなら解るが、明治天皇はちょっと違うはずだ。ひょっとすると、左派革新のアタテュルク主義者が思い描くアタテュルクは、森有礼などに近いかもしれない。
(君臨すれども統治せずの天皇と、オスマン帝国の皇帝では全く立場が異なるものの、明治天皇と対比できるのは、アブデュルメジト1世とも考えられるのでは・・?)
この「アタテュルク-明治天皇」のイメージのためか、かつて日本の革新の人たちとアタテュルク主義者の接点は、コミュニスト的なアタテュルク主義者でもない限り、「反米」といった要素に限られていたような気がする。
トルコでも、デミレル~オザル~エルドアンと、保守政権は親米と見做される場合が多かった。けれども、最近は、これが何だか変わって来ている。
そのためか、欧米から執拗に誹謗中傷されているエルドアンに対して、日本の報道で、少し好意的な記事を見て喜んでいると、要するに、とても反米的な論調だったりする。
世界の現実に対応していく上で、“反米”という選択肢はないだろう。エルドアン大統領も、アメリカに抗議しているだけで、決して反米主義者ではないと思う。