メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

西欧に適応しようとしたオスマン帝国・その必要さえなかったサウジアラビア?

近所の廃品回収屋さんの家族は、イスラムの信仰に篤い敬虔なムスリムだけれど、彼らにもフランスへ移民した親族がいるという。
半年ぐらい前、フェイスブックに、フランス在住のトルコ人から「友達リクエスト」があって、これを承認したところ、どうやら彼は、廃品回収屋さんの親族らしい。姓も同じで、「友達」の中には、廃品回収屋さんの面々が並んでいる。
出身地もフランスのブリアンソンとなっているから、現地で生まれた二世なのかもしれない。アップされている写真を見ると、あか抜けた雰囲気で、なんだかすっかりフランスの人に成りきっているかのようだ。
このイエニドアンの近所で、西欧に親族がいるのは、廃品回収屋さんに限らない。イエニドアンは、イスタンブールの端のイスラム的な田舎臭い街のように思われがちだが、こうして西欧から生の情報を得ている住民は結構少なくないのである。
西欧へ移民した親族の人たちも、政教分離はトルコで経験済みだから、他のイスラム圏から来た人たちに比べれば、遥かに適応し易かったのではないだろうか?
戦前、朝鮮半島から日本へ移住してきた人たちなどは、文化的にも近かった所為か、適応なんてものではなく、2~3世代の間に日本へ同化してしまい、その殆どが既に日本語しか話せなくなっている。
人間は、文化や習慣等の異なる外国へ行っても、そこで生活して行かなければならなくなったら、なんとか適応しようと努める。さしたる財産もなければ、背に腹は変えられないから、経済活動を最優先にして、言語を始めとする文化の維持は二の次、あるいは忘れ去ってしまう。そんなところじゃないかと思う。

しかし、例えば、トルコのような政教分離の国ではなく、イスラム法を適用しているイスラム教の国から日本へ渡って来た人たちの状況については、情報がないので良く解らない。それでも、周囲の日本人と混在する環境で働いて生活するのであれば、やはり背に腹は変えられないから、なんとか適応しようと努めるに違いない。 
イスラムの教義に則ったハラール認定の食堂などをやたらに揃えたら、その適応能力を奪ってしまうような気もする。
「背に腹は変えられない」なんて下品な言葉を使ってしまったけれど、何処の社会でも、人間は大概の場合、思想信条よりも経済活動を最優先にしているはずだ。イデオロギーや宗教で飯が食えてしまう人は、それが経済活動になっているだけだろう。

人間を国に置き換えても、それほど変わりはないかもしれない。オスマン帝国は、西欧が軍事力・経済力で世界をリードし始めると、何とかそこへ合わせようとして、西欧化を進める改革を行い、政教分離的な要素も含まれるミドハト憲法を制定する。
ところが、適応力に欠ける人間が社会の隅に追いやられ、時として過激な行動に出るように、オスマン帝国の辺境で時代に適応できなかった人たちの中から、ワッハーブ派などという時代に逆行した過激思想が生まれたのではないか。
当たり前に歴史が進行していれば、彼らは時代に取り残されて勢力を失うか、否応無く適応力を身につけて行かなければならなかったはずだ。
しかし、このワッハーブ派サウジアラビア等を、最初はオスマン帝国に対抗させるため、その後は石油資源のために、英国や米国は絶えず支援してきた。こうして、彼らが適応力を身につけないまま、勢力を維持してしまったところに、中東の悲劇があるように思えてならない。