メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラム主義と政教分離主義の論争

昔読んだ記事に、かなり年配のトルコ人女性教授が、若い頃、フィールドワークとしてトルコ各地の農村を巡り歩いた時の思い出が綴られていた。多分、共和国初期の農村について語っていたはずだから、93~4年頃に読んだ記事じゃないかと思う。
93~4年当時は、イスラム主義者と政教分離主義者が、もっと激しいイデオロギー闘争を繰り広げていた。イスラム主義者は、オスマン帝国以来のイスラムの伝統が、共和国の政教分離主義によって破壊されてしまったと非難し、一方の政教分離主義者は、女性の自立を妨げるイスラム的な風習が、共和国革命によって漸く改善されつつあると論じていた。
しかし、その女性教授によれば、双方の主張はいずれも事実を反映していないという。若き教授は、モダンな西欧化したトルコ人女性として各農村を訪れたが、村人たちは皆彼女を歓迎し、その服装や行動を見咎める者など何処にもいなかったそうだ。村の社会はそれほど閉鎖的でもなかったらしい。
やはり93~4年に、私がトルコの東部などを旅して歩いたのは、おそらく教授の見聞から50年ぐらい過ぎた後だろうけれど、何処へ行っても人々は親切で明るく、開放的な印象があった。
ところが、今でも、一部の過激な政教分離主義者は、教条的なイスラム主義のAKP政権がトルコをイスラム化させてしまうと恐れ、AKPを支持する信心深い無知蒙昧な民衆の行状を論ったりしている。でも、本当にそんなこと思っているのだろうか? 
実のところ、彼らはイデオロギー闘争を導くため、針小棒大に主張しながら、どんどん現実を離れてしまったような気もする。
「君が住んでいる街で、ラマダンにビールを売ったりすると、その店はイスラムの連中に襲われるんだろう?」などと私に訊いた政教分離主義者もいた。まったく何を考えているのやら・・・。最近は、酒類販売10時規制が、場合によっては12時までセーフである。

政教分離主義者の中には、地方の農村出身で、わりと信心深い親族がいる人も少なくないはずだ。その親族たちは、どのくらい危険な存在なのか。おそらく、たまに村へ帰れば、和気藹々とやっているのだろう。
ある政教分離主義者の知人は、AKP政権を支持する親族ら7人と私を前にして、AKPを非難しながら、「無知な民衆がAKPに投票してしまうから・・・」と語っていた。それでも、目の前にいる“無知なAKP支持者たち”が自分に襲い掛かってくる、なんてことは頭の片隅にもなかったらしい。

要するに、イデオロギー上の論争をやっているだけで、現実は違うと承知している人が結構いるのかもしれない。 
しかし、海外には、その現実よりも“イデオロギー論争”の有様が伝えられてしまうから、トルコのイメージは悪くなるばかりだ。とても残念な気がする。
一方、この“イデオロギー論争”の相手であるイスラム主義者の側の人たちは、AKP政権のもとで様々な不満が解消されて、大分ソフトになった。
かつて、AKPの母体となった“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”でイスラム主義運動を率いた故ネジメッティン・エルバカン氏は、大多数の民衆を背景にした自分たちの運動がいずれは勝利すると断言していた。
そして、エルバカン氏は、勝利に至る過程が二通り考えられるとして、「それは穏やかに済むのか? 流血の果てに達成されるのか?」なんて不気味に語りかけていたけれど、後継者のエルドアン大統領とAKPは、これをものの見事に、政教分離の共和国体制へソフトランディングさせたのではないかと思う。