メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クーデターを企てた軍人はギュレン教団のメンバーだけではなかった

(7月19日)

クーデターの企てに関して、昨日(7月18日)の“ハベルテュルク”のニュース番組では、イスマイル・ハック・ペキン退役陸軍中将がキャスターの質問に答えていた。

ペキン元中将は、2007年より、参謀本部情報室の長官として任務に就き、2011年、所謂「エルゲネコン・クーデター計画事件」に加担した疑いで逮捕され、2012年に退役、2013年8月に釈放された後、2015年からドウ・ペリンチェク氏のヴァタン(祖国)党で活動している人物。

ペキン元中将によれば、トルコ軍には、配下の将兵の身辺を調査する独自の情報機関がなく、調査はMIT(国家情報局)に丸投げの状態だったらしい。

そのため、2001年以降、軍の内部へ浸透していたギュレン教団に対する対策が講じられていたものの、2009年からは配下将兵の身辺調査が殆ど出来なくなっていたそうである。

そして、自身も逮捕された所謂「エルゲネコン・クーデター計画事件」によって、大量の軍人が逮捕されると、その空いたポストに次々とギュレン教団のメンバーが就いてしまったという。

また、「クーデターを企てたのはギュレン教団のメンバーだけだったのか?」というキャスターの問いに対しては、ラディカルな政教分離主義者の将校と、昇進に野心的だった将校らが加わっていたと認めながら、「どうやってギュレン教団のメンバーと共和国を守る軍人が合流できたのか理解できない・・・」と嘆いていた。

しかし、この数年は、政教分離主義のCHPもギュレン教団に接近したり、イスラム主義と言われていたAKPが軍と良好な関係を築くようになったりして、かつての「政教分離主義」対「イスラム主義」といったパラダイムは、もはや通用しなくなっていたような気がする。

もっとも、ペキン元中将が嘆いていたのは、政教分離主義というより「共和国の守護者たる軍人」が、ギュレンという「愛国精神に欠ける教団」と一緒になってしまったことだろう。

AKPが既に“イスラム主義”の頑ななイデオロギーから距離を置いているように、トルコ軍も“政教分離主義”というイデオロギーを離れて、双方が「愛国の精神」や「国土の不可分の統一」といった国是のもとに歩み寄っているのかもしれない。

(この場合、イスラムの信仰も決して妨げにはならない。トルコ軍がイスラムを否定したことなど一度もなかったという。トルコの軍が突撃の際に使う“鬨の声”は、今でもオスマン帝国以来の「アッラーアッラー!」だそうである。)

そういえば、ペキン元中将の活動している、ドウ・ペリンチェク氏率いるヴァタン(祖国)党は、以前、イシチ(労働者)党だったはずだが、いつの間にか名称を変えている。ドウ・ペリンチェク氏は左翼をやめてしまったのだろうか?

ペキン元中将も、所謂「エルゲネコン・クーデター計画事件」では2年にわたって拘束されたのに、エルドアン大統領やAKPを恨むような話はしていなかった。

クーデターに気づいた第一軍司令官が、いち早くマルマリスで休暇中の大統領に一報を入れ、大統領救出の指揮を取った功績を称えていたくらいである。

とはいえ、AKP政権がギュレン教団の勢力を増大させてしまった過失については、軍もこれを厳しく非難していただろう。

これに対してAKPは、「民衆によって選ばれた我々の政権を認めず、クーデターを計画したりするから、我々もギュレン教団と協力せざるを得なかった」などと反論したかもしれない。

その後、AKP政権のクルド和平プロセスの失敗もあって、軍の立場は相当強くなっていたのではないかと考えられるけれど、今度のクーデター事件で政権側にバランスが傾いたような気もする。

いずれにせよ、ペキン元中将が「民衆の支持を得られないクーデターは決して成功しない」と語っていたように、今後、バランスの決定的な要素になるのは“民衆の支持”に違いない。

ドウ・ペリンチェク氏も、先日の記者会見で「我々は民衆を信頼している」と強調していた。

トルコのエリート層は、軍人も含めて、長い間、民衆ばかりか自分たちの歴史や保守的な伝統も卑下して、ひたすら西欧化に努めて来た。これは明治初期の日本と良く似ている。

今、トルコは、自らを卑下するような時代からようやく脱却しつつある。

しかし、日露戦争に勝利して自信を深め、自分たちの歴史や伝統を誇るようになった日本は、徐々に国粋的になり、バランスを大きく崩した挙句、太平洋戦争に突入してしまう。

そして、戦後70年たった現在は、逆の方向に傾き過ぎて、再びバランスを失っているかのようだ。

バランス感覚に優れたトルコの人たちが、こういった過ちに陥らず、また絶妙のバランスを見せてくれることを祈りたい。