メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの新聞記事/ムスリムによる政教分離の可能性

旧ホームページの「メルハバ通信」には、トルコの新聞記事を訳して掲載する欄を設けていた。

2011年の12月まで、252回に亘って続けていたけれど、私のPC上に保存してあったのは、2005年4月の137回までで、残りは手違いから削除されてしまったようだ。

保存してある記事訳の中から、特に興味深いと思った24の記事だけを再掲載することにして、先週、その作業が終わった。

例えば、以下のラディカル紙の記事(2004年3月11日)。

この記事で、アヴニ・オズギュレル氏は、現AKPを支持するイスラム的・保守的な人々が懐いていた政教分離主義への不満は、「宗教上の装飾的な事柄が国家行事の中で無視されている」といったもので、政教分離の根幹を揺るがす影響はないと論じて、次のように締めくくっていた。

「私は、トルコが国内の平和を築く過程で、政教分離ムスリムの立場で解釈できるように成ると信じている。その時、私たちは恐らく、斯くも長きに亘って自らの影と争って来たことに心を痛めるに違いない。」

これは正しくその通りになったのではないかと思う。現在のトルコで、「政教分離イスラムの対立」などという論点は大した話題にもなっていない。

しかし、記事の冒頭でオズギュレル氏が示した「トルコ国民の65%が、右派もしくは宗教色の強い保守政党に票を投じ、35%は政教分離の原則を鮮明に打ち出した政党を支持して来た」という観測は、もう通用していないだろう。

トルコでは、記事が書かれた時点から現在まで15年の間にも、さらに産業化とそれに伴う都市化が進んだ。農村から出て来た保守的な家庭の子女が政教分離主義的な家庭の子女と知り合って結婚に至る例もさらに多くなった。

人々を隔てていたイデオロギーなどによる垣根が低くなり、「演劇や映画製作に携わる人たちは全て脱宗教的な政教分離主義者」といった区分けも既に難しくなっている。

今年の地方選挙の結果を見ても、「65%対35%」という分け方は殆ど意味を成していなかった。一方でAKPとエルドアン大統領にも相当な変化が見られる。

もう大分前からAKPを「イスラム主義の政党」と考える人は少なくなっていたが、そのうちイスラム的・保守的であるかについても議論が分かれてしまいそうな気もする。

また、地方選挙には、都市住民のシリア難民への不満が現れていたらしい。

2017年の4月まで私が暮らしていたイエニドアンの街では、イスラム的・保守的な人たちがシリア難民にイスラム同胞として接していた印象もあったが、これも2年の間にどう変わったのか解らない。

選挙の結果を見れば、元来の支持者の中からもAKPの難民政策に不満の声が上がっていたのは確かだろう。

私はその変化に全く気がついていなかった。私が気づかされたのは、産経新聞の大内清氏の記事によってである。

大内清氏の記事は、既に現地を離れている私へ現地の様相を的確に伝えてくれる貴重なメディアだけれど、掲載が少ないのは非常に残念、というより不可解と言った方が良いかもしれない。 

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