メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クーデターの夜にモスクから響いた祈りの声

クーデターのあった7月16日の未明、トルコ全国のモスクから、“セラ”というアラビア語の祈りの声が響いていたという。
イエニドアンの近所のモスクからも響いていたはずだが、私はぐっすり寝込んだまま全く気がついていなかった。未明の2時ごろだったらしい。
“セラ”は、参拝を呼びかける“アザーン”と異なり、葬儀などを知らせるための祈祷であり、あの日はクーデターへの抗議活動を国民に呼びかけようとして、宗務庁のギョルメズ長官の指示で、全国のモスクから一斉に流されたそうである。
1920年、救国戦争が始まった時も、このセラの祈りが各地のモスクから響いていたのではないかと言われている。トルコの人たちにとっては、非常に重要な意味を持つ呼びかけだったに違いない。
一昨日、アンカラの大統領府における大集会では、エルドアン大統領が演説を始める前に、かなり長いコーランの朗唱があった。
救国戦争の前夜、アタテュルクの指導のもとでアンカラの大国民会議が開かれた際には、やはりコーランが朗唱されていたらしい。
共和国になってからも、トルコ軍の“鬨の声”は「アッラーアッラー!」のまま変わらなかったように、人間が命懸けで大事に臨む場合、拠り所になるのは、やはり宗教的な信心なのかもしれない。
もちろん、信仰に篤い保守的な人々は、普段の生活の様々な局面でも、拠り所を宗教に求めることが少なくなかっただろう。
AKP政権は、人々の要望に応じて、長い間“抑圧的な政教分離主義”により、公の場では封印されてきた宗教的な儀礼を少しずつ復活させた。
当然、政教分離主義者の反発は激しかったが、クーデター事件以降の宗教的な儀礼の盛り上がりに対しては、それほど反発の声も高まっていない。
クーデターの夜のセラの祈りを称賛する識者は、保守派に限られていなかった。
2004年3月のラディカル紙の記事で、アヴニ・オズギュレル氏は、人々が懐いている「宗教が大切にされていない」という不満は、国会や裁判所のような公的エリアにおける儀式が、宗教上の神聖な文言を無視して行われているといった装飾的な事柄に過ぎず、政教分離の否定には繋がらないと論じていた。
現在、このオズギュレル氏の論旨に納得する識者は、左派の中でも増えているような気がする。

*セラの祈り


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