メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコに軍人という階級はあったのだろうか?

(8月13日)

トルコでは、共和国の建国以来、長い間、軍部が実質的に国家を支配していると考えられて来た。

この支配者の意に沿わない政党が選挙で勢力を伸ばした場合、軍部と共に絶大な力を持っていた司法の介入により、あっけなく解党されてしまう。解党を免れて政権に就いたとしても、今度は軍部が介入したり、クーデターを起こしたりする。・・・こんな風に思われていた。

だからこそ、国家の中枢を成す軍部には、優秀な人材が集まり、厳格な規律と高い士気があると信じられていた。司法や官僚機構にも同じような信頼が寄せられていたはずだ。

しかし、80年代以降、国際情勢の現実に合わせて、トルコも開放経済への転換を余儀なくされ、産業化が進んで社会構造も変わり始めると、軍部や司法の内部にも様々な葛藤が生じたのではないかと言われている。

これは、政教分離主義とイスラム主義の争いであるかのように見せられていたものの、実際は「グローバル派と民族派の対立」であるとか、「旧来のエリートと新興中流層の相克」であるとか、色々な説が唱えられていた。

ところが、こういった葛藤の間隙を縫って、“ギュレン教団”という見えない組織が着々と各機構に浸透していたらしい。

2002年以来、政権を維持してきたエルドアン大統領とAKPは、“独裁”などと非難されているが、その実、未だに軍の文民統制を成し得ていないばかりか、堅固な官僚機構に阻まれて、それほど思い通りには政策も進められていなかった、そのため、行政を大統領府に集中させる“大統領制”を模索しているのだと論じられていた。

ひょっとすると、フェトフッラー・ギュレン師は、40年前からこの状況を見通していたため、政党を作って選挙に勝つより、実質的に国家を支配している軍部や司法を内部から乗っ取ってしまう長期計画に着手したのではないか?

そうであれば、今回のクーデター事件は、長い間、民選の政権に統治を任せず、民主主義を蔑ろにしてきた国家がつけを払わされた結果であり、この国家を存亡の危機から救ったのは、まさしく民主主義に目覚めた国民だった。

また、トルコでは、軍部が国家を支配してきたという割には、軍人という階級が明らかにはなっていないような気もする。

例えば、日本の旧帝国陸海軍の将官らの経歴をざっと眺めてみると、その親・兄弟・子息にも軍人がやたらと多く、もともと士族の家柄だったりしている。当時の日本では、軍人・士族が未だ支配階級を構成していたのかもしれない。(今でも?)

これがトルコの場合、あまり良く調べてみたわけでもないが、歴代の参謀総長を見ても、親・兄弟・子息に軍人が多い例は、それほど顕著でもなさそうだ。そもそも一定の士族的な家系が、軍の上層部を固めていたら、ギュレン教団も簡単には浸透できなかったように思えるが、どうだろうか?

トルコ共和国は、オスマン帝国以来の長い歴史と伝統を持つ国だけれど、支配階級と言えるような層は見当たらないし、名門的な家柄も少ない。なんだか成り上がりばかりである。