メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

戦争と宗教

南東部でPKKとの戦闘が激化して以来、この1年半ぐらいの間、戦死した兵士の葬儀の光景が、数えきれないほどニュース番組の画面に映し出されてきた。
葬儀は、通常、モスクの前庭でイマーム(導師)によって執り行われる。宗務庁のイマームと軍の高官が並んで祈りを捧げる姿も見られた。
私は、長い間、政教分離主義の守護者たる軍高官と宗務庁のイマームらが親しい間柄になれるとは思っていなかったけれど、これは誤解だったようである。
2004年3月のラディカル紙、アヴニ・オズギュレル氏のコラム記事によれば、共和国の創設期、宗務庁と参謀本部は同じ日に同じ法令によって設立されたという。

考えて見ると、トルコでは、宗務庁も政教分離の要として機能しているのかもしれない。宗務庁のイマームは、長い顎鬚を蓄えたりせず、法衣の下にはネクタイを着用している。
現在のメフメット・ギョルメズ長官を始め、要職に就くイマームは、アンカラ大学の神学部などを卒業したエリートばかりで、非常に開明的な人たちが多い。
末端には、まだ頑迷なイマームがいないわけでもないが、これも急速に減って行くのではないかと思う。
また、かつては、開明的なイマームの説教を聞いて、「あいつらはイスラムを薄めようとしているんだ」などと文句を言う信心深い人も少なからずいたけれど、AKPが政権に就いて以来、そういう声は余り聞かれなくなった。
政教分離を掲げながら、宗務庁がモスク等を管理しているのは、なんだか不都合に思われてしまうが、カリフも廃され、ローマ法王のような存在がいなくなったイスラム教の世界では、人々に開明的な解釈を示せる機関が必要であるという。
しかし、非常に政教分離主義的な組織とされる軍部の中には、昨今のイスラム的な伝統の再興を嫌っている人たちも少なくないそうだ。それどころか、以前はこういった軍人が主流派を成していたらしい。
現在は、政教分離主義のCHPではなく、アタテュルク主義とイスラムの習合的な雰囲気もあるトルコ民族主義のMHPに近い軍人たちが主流ではないかと言われたりしている。
これには、イスラム的な傾向のあるAKP政権の影響があるかもしれないけれど、トルコが戦時状態に置かれていることも無関係ではないように思われる。
15年ほど前、イスタンブールのカラキョイにあるロシア正教の教会で、「宗教を激しく弾圧したソビエトも“大祖国戦争”が始まると、スターリン正教会から支援を求めた」という話を聞いた。
この話をトルコ人の友人に伝えたところ、彼は次のような感想を述べたのである。
「当たり前さ、バース党のサダムだって戦争が始まったら、アッラーに祈りだしたじゃないか。トルコは国民を総動員しなければならないような戦争を経験していないだけなんだ。そういう事態になったらスターリンやサダムと同じことをしなければならなくなると思うね」
そもそもトルコ軍の「鬨の声」は、オスマン帝国以来の「アッラーアッラー!」であり、共和国革命によっても、これは変わらなかったという。人間は、何処へ行っても生死に関わる場面では、宗教的な何かに頼らざるを得なくなるらしい。
ところで、私たちは、これを全くの他人事と考えても良いのだろうか?
今後、日本が全面的な戦争に突入する事態はまず出現しないと願いたいが、現在のトルコのように局地的な戦闘に巻き込まれる可能性が全くないとは言い切れない。
そして、いざ戦闘になった場合、自衛隊の人たちは、戦前と同じように、「靖国神社」であるとか、「国体の護持」といったものに思いを致すよりないのではないか?
その精神的な支柱になるのは、やはり皇室であり、そこには宗教性も感じられないと困るような気がする。
これはとても非合理的な発想で嫌がる人も多いだろう。しかし、戦闘を極力回避する非戦主義を前提として、万が一のために、厳かな宗教性を維持するだけなら害はないと思うのだが・・・。


*写真:アンカラのコジャテぺ・モスク(2015年7月)
前庭には、通常、葬儀の際に棺桶を乗せる石台が一つ設置されているが、このモスクでは軍の葬儀が執り行われるため、8~9ぐらいの石台が並んでいる。

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