メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

国家の正統性/クルド人のアイデンティティー

2013年3月2日、サバー紙のコラムで、エンギン・アルドゥッチ氏は、当時の憲法改正議論に関して、以下のように述べていた。
「現存する国家を過去のものにして、新たに全く異なる国家を築くのであれば、それは法改正とか国民投票などで出来るものじゃない。“我々に塗炭の苦しみを与える大騒乱”が必要になる。何故なら、この変遷を自分の意志だけで認めさせられる力など何処にも存在しないからだ。それは絶対的な皇帝の意志によっても成し遂げられない。・・・」
そして、オスマン帝国が国家としての機能を果たせなくなって大騒乱に陥ったため、アンカラに新しい国家は樹立されたものの、この国家が救国戦争で勝利する保証など何処にもなかったと言うのである。

2013年3月当時の改正議論では、エルドアン首相自ら、地方自治の拡大を念頭に置いた州制度に言及したりして、かなり大胆な主張が飛び交っていた。憲法に「クルド」といった文言を織り込むとか、「トルコ」という国称の変更まで提議する声も出ていた。 
当時は、私も、クルド問題の解決に向けて夢のような展開を期待していたが、アルドゥッチ氏の発言は、そういった幻想を戒めるためだったに違いない。
しかし、今日、国民投票が決定された改正案は、それほどエキサイティングな内容でもなく、クルド民族のアイデンティティーなど、そもそも議論の対象にすらなっていなかった。
一方、クルドの人たちの多くも、中東で燃え上がる炎に慄き、PKKの蛮行に怒り、HDPには愛想をつかしてしまった所為か、今のところ、民族的な主張は控えているように見える。
とはいえ、アイデンティティーに纏わる彼らの不満が解消されたわけではない、エルドアン大統領も充分その点を考慮しているだろう、とオラル・チャルシュラル氏は指摘していた。
そのため、国民投票を前にして、エルドアン大統領が何か思い切った発言を試みるのではないかという期待もあるようだけれど、さすがに現在の混乱が収まるまでは、ちょっと難しいかもしれない。
アルドゥッチ氏は、発言を通して、「トルコ共和国の正統性」を明らかにしていた。オスマン帝国の正統性を否定した共和国は、救国戦争に勝利して、ようやく新たな正統性を得たのである。
新しい正統性の象徴として、アンカラにはアタテュルク廟が建立されており、トルコを訪れる各国の首脳たちは、まずここへ来て表敬する慣例になっているらしい。
「この正統性を否定しようとするなら、流血の革命といった大騒乱を覚悟しなければならない」というのが発言の要旨だったと思う。
この先、クルド人アイデンティティー等に関して何らかの展開があるとしても、おそらく、それは共和国の正統性を揺るがさない範囲で進められるのではないだろうか。
ところで、私は、こうして「国家の正統性」云々について説かれても、長い間、なかなか理解できなかった。今でも、納得できたような気がしない。それは、日本の歴史に革命といった転機がなく、古来より同じ国が続いてきたからだと思っていた。
しかし、明治維新は、ひょっとしたら、トルコの共和国革命に相当する大転換だったかもしれない。
トルコは、新しい国家の象徴としてアタテュルクを仰ぎながらも、旧来の伝統であるイスラムの信仰を完全に捨て去りはしなかった。その後、紆余曲折を経て、イスラム的な伝統も再興させながら、この新旧は巧く習合して来たように見える。
日本の場合、新しい国家の象徴も、旧来の伝統を担って来たのも皇室だと見做されているためか、新旧の繋ぎ目が良く見えなくなっているものの、実際は、明治維新を境にして、伝統というか、「国家の正統性」に関わる部分も大きく変わってしまったらしい。
トルコの共和国革命と同様に、明治維新も不完全なものであり、矛盾している点は、探せばいくらでもあるに違いないが、現在の正統性を否定しようとしたら、やはり大騒乱を覚悟しなければならないのだろう。
かつての伝統と新しい伝統を照らし合わせて、旧に良い所があれば、可能な範囲内で復活させたりして、新旧を巧く習合させて行くよりないような気がする。