メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ディヤルバクル旧市街

昨年、12月21日付けの“通信”で、「南東部の混乱」について書いてから、既に2ヵ月が過ぎた。しかし、ディヤルバクルの「スル・イチ(城内)」と呼ばれる旧市街に立て籠もったPKKの戦闘員らは、まだ完全に掃討されていないようだ。
一昨日も旧市街で一人の兵士が殉職したと伝えられている。もちろん、PKK側も、それとは比較にならない膨大な数の戦死者を出しているけれど、こちらは「テロリスト~人が無力な状態となった」などと報道されるところが悲しい。
ひと頃は、一兵士の殉職では驚かないくらい、連日のように複数の殉職者があり、葬儀の模様がニュース番組の画面に映し出されていた。この事態が、現在、ようやく収束に向かいつつあるらしい。
殉職者の葬儀は、まず例外なくイスラム式である。キリスト教徒やユダヤ人の国民も兵役にはついているはずだが、絶対数が少ないので、不幸にも殉職してしまう若者は殆どいないかもしれない。

イスラムの葬儀では、法衣を纏ったイマーム(導師)の先導により、参列者が祈りを捧げる。この時ばかりは、かなり不信心な人も皆に合わせて祈っていると思う。
ところで、政教分離主義のトルコ軍も、徐々にイスラム的な保守層の現実を理解するようになったと言われているけれど、度重なる葬儀で、軍と宗教の距離はさらに縮まったのではないだろうか。
15年ほど前、イスタンブールのカラキョイにあるロシア正教の教会で、「宗教を激しく弾圧したソビエトも“大祖国戦争”が始まると、スターリン正教会から支援を求めた」という話を聞いた。
この話をトルコ人の友人に伝えたところ、彼は次のような感想を述べたのである。
「当たり前さ、バース党のサダムだって戦争が始まったら、アッラーに祈りだしたじゃないか。トルコは国民を総動員しなければならないような戦争を経験していないだけなんだ。そういう事態になったらスターリンやサダムと同じことをしなければならなくなると思うね」
そもそもトルコ軍の「鬨の声」は、オスマン帝国以来の「アッラーアッラー!」であり、共和国革命によっても、これは変わらなかったそうである。
人間は、何処へ行っても生死に関わる場面では、宗教的な何かに頼らざるを得なくなるのだろう。
しかし、現状、国民を総動員するような戦争は回避されるに違いない。政権寄りサバ―紙の昨日(25日)のコラムで、メフメット・バルラス氏は「誰の利益になろうと構わないからシリアの休戦は実現されるべきだ」と論じている。
ここでバルラス氏も述べているように、かつてトルコは、「クルド人の国家を絶対に認めない」と主張していたにも拘わらず、北イラククルディスタン自治政府が成立するや、たちまち親密な関係を築いてしまったのだから、この先、どういう展開があっても不思議ではないと思う。