メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

吉原・山谷/韓半島の統一

大阪で「あいりん地区」と「飛田新地」が隣接しているように、東京では「吉原」と「山谷」が背中合わせになっている。
私は生まれ育ちが錦糸町で、子供の頃から浅草辺りなら良く出かけていた。それと知らずに山谷・泪橋を通って、『この街、少し変だぞ』と驚いたこともある。高校生ぐらいになると、承知で様子を見に行ったりした。
それでも、2003年の「あいりん地区」には衝撃を受けた。山谷とは規模も迫力も違うように感じた。

それで、東京へ戻ってから、友人たちと山谷~吉原も歩いてみた。しかし、当時既に、山谷は随分大人しい街になっていた。
2002年の日韓ワールドカップでは、外国から来たサポーターたちが、山谷の「ドヤ街」に泊まっていたらしい。2003年にも、リュックサックを担いだバックパッカー風の外国人旅行者を見かけた。
なにより、泪橋交差点にあった立ち飲み屋がセブンイレブンになっていたところが大きな変化である。かつては交番も鉄格子で覆われていて物々しい雰囲気が漂っていた。

 私は、1989年の9月から4ヵ月ぐらいの間、日本で韓国から来る旅行者の案内もしていた。サムスンやLGといった大企業が送り込んでくる“研修旅行者”の団体が顧客だった。
時間があれば、そういった団体をさりげなく山谷へ連れて行ったりした。ちょっと日本の負の面も見せて、リラックスしてもらおうと考えたのである。
バスで泪橋交差点辺りを徐行しながら通るだけだが、当時は未だ路上に寝転がっている人たちがたくさんいて、かなり迫力があったので、日本の発展を目の当たりにして落ち込んでいた韓国の人たちも、俄然元気が湧いてきたのか、「あの人たちの社会保障とかはどうなっているのか?」などと私に質問したりして意気揚々となっていた。
今から思えば恥ずかしいが、私はそういう韓国の人たちを『他国へ研修に来ているのに、負の面を見て最も喜ぶとは、なんと下等な連中だ・・』と冷ややかな目で見ていた。
実は、我々日本人もずっと同じようなことで喜んで来たけれど、あの頃までは経済的に絶好調だったお陰で、それが目立たなかっただけだろう。人間の本性は世界の何処へ行ってもそれほど変わらない。
当時、5~6人の小グループなら、自分でワンボックスカーを運転しながら案内して、行動の自由も広がったため、一度、山谷からさらに吉原まで車を進めたことがある。
吉原のメインストリートを走らせながら、「この両側のビルは、皆、売春をしています」と説明したところ、一行のリーダーを務めている課長さんは、「ほお、日本にもこんな場所があるんですね」と顔をほころばせてから、驚くべき一言を付け加えた。
「でも、働いている女性は、皆、韓国人なんでしょ?」
なんという被害妄想だろう。愕然として思わず耳を疑った。
「いや、この辺の店は営業許可をもってやっているから、不法就労の外国人女性は殆どいないと思いますよ」と補足したら、課長さんは部下たちを振り返り、「おい、聞いたか? 日本の女性がいるそうだ。誰か今晩行ってみる奴はいないのか?!」と発破をかけ、車内は爆笑に包まれた。
しかし、今でもこういった被害妄想的な意識は、慰安婦問題等に深刻な影を投げかけているだろう。
韓国は、日本の敗戦により、英雄的な「独立の物語」を作ることもなく、そのまま独立してしまったため、どうしても「反日」を国是に掲げなければならなくなっているような気がする。
だから、韓国が主導して韓半島を統一すれば、これが偉大な民族の叙事詩となって、新しい日韓関係を築けるのではないかと思う。もちろん、そうなっても「反日がなくなる」という保証はないけれど・・・。

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