メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国からトルコへ

フィギアスケートのザギトワ選手は、競技活動の停止を発表しながら、「(人生は)常に何か満たされないものがあるべきだ。スタートの状態に戻りたい」と語ったそうだ。全てやり遂げてしまった達成感が、このような心境に至らせたという。

ザギトワ選手に限らず、幼い頃から心身を鍛え試練に打ち勝って来たアスリートたちは、10代にしてもの凄い人格を築き上げていたりする。何一つ成し得なかった59歳の私から見たら、途方もない人生のように思えてしまう。

私はそれこそ26歳ぐらいになるまで何も考えずに生きていた。成し遂げたい目標どころか、何をしたいのかも解らなかった。夢とか希望もなかった。

その26歳の頃、韓国語を勉強し始めたことで、ようやく目標に向かってスタートしたような気がする。韓国へ留学し、帰国して韓国語を使う職に就いたのだから、それはなかなか順調に進んでいたかもしれない。

しかし、韓国関連の仕事で何か成し遂げたわけでも、挫折があったわけでもないのに、僅か1年足らずで韓国関連の仕事に嫌気がさしてしまう。たいそうな言い方をすれば、「日韓の間に身を置くのがきつい」と感じるようになったのである。

それから、トルコ語の学習を始めたけれど、今度は目標も曖昧なまま、ふらふらとトルコへ旅立ち、以来、既に28年が過ぎてしまった。トルコで都合20年暮らして、生活が安定していたことは殆どなかった。

通訳や翻訳の仕事などは有ったり無かったりで、いつも綱渡りの状態だった。そして、2017年の4月、ついに綱から落ちて敢え無く帰国となったのである。

その後は、福岡で送迎の運転手、今は兵庫県で警備員と何とか職にありついているのだから、まあ良い方かもしれない。

もしも、韓国関連の仕事をあのまま今まで30年間続けていたら、どうなっていただろう? おそらく、経済的な面で生活は安定していたに違いないが、やはり精神的には相当きつかったのではないかと思う。

韓国の人たちに日韓の問題を問われて本音で応じると、激しい議論になってしまう。本音を偽って議論をさけようとすれば、これもまた嫌悪される。それより、激しい議論の方が友情を築くことができた。

しかし、その内、『これはさすがに韓国の友人たちには言えない・・・』と思う「本音」が多くなり、私は韓国から離れたくなってしまったのである。

本音で「日韓の問題は全て日本が悪い」と考えられるのなら別だが、さもなければ、産経新聞の黒田論説委員ぐらいの見識と精神的なタフさがないと、どっぷり韓国に浸って生活するのは難しいだろう。

黒田論説委員は、私が韓国語を勉強し始めた頃から韓国通の第一人者と言える存在だった。『いつかは黒田さんのように縦横無尽に論じられるくらいになりたい』と思いながら勉強したのである。

その黒田論説委員が、さらに難しくなった日韓の間で、今でも活躍を続けているのは、目眩がするほど凄い業績と言えるのではないかと思う。