メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「トルコの魅力は親日なのか?」

《2008年9月4日付け記事を修正して再録》

トルコは良く親日国と言われているものの、トルコのマスコミで日本が話題になることは滅多にない。全般的に日本への関心は極めて低いように思える。

トルコの人々に、アンケートで“好きな国”を問うた場合は、日本が上位に登場するそうだが、日本と答えた人々は果たして日本の何に魅力を感じたのだろう?

ワールドカップ日韓共催で開かれた頃、取材で日本を訪れたある左派のコラムニストが、次のように記していたのを読んだ覚えがある。

「・・・イスラム主義者たちが“伝統を維持したまま近代化を成し遂げた日本”などと称賛していたものだから、私は日本が大嫌いだった。しかし、実際にこの国を訪れてみたところ、街角や人々の様子は至ってモダンで何処にも伝統は感じられないし、熱心に宗教を信じている人たちもいない。私はたちまちこの国が好きになってしまった・・」。

これでは、褒められているのか貶されているのか分かったものではない。

91年、初めてトルコへやって来て、イズミルトルコ語教室に通っていた時も、トルコ人の講師が日本について殆ど何も知らなかったことに驚かされた。

ドイツ人の受講生は未だいくらか知っていた。あの教室で日本について最も良く知っていたのはアメリカ人の受講生だったと思う。まあ、彼らは、トルコ語を学んでいる非常に珍しいドイツ人やアメリカ人だったわけだけれど・・・。

87年から88年にかけて滞在した韓国では、マスコミに日本が登場しない日など有り得ないどころか、日本は人々の日常生活の一部になっていたような感じさえした。

2003年に韓国を訪れて、ソウルで地下鉄に乗ったら、車内に張り出されていたクロレラという商品の広告に「・・・日本の人たちは毎日クロレラを飲んでいます」と書かれているのを読んで『相変わらずだなあ』と呆れてしまった。

88年当時も、“日本で流行っています”とか“日本の人たちからも愛用されています”というのはコマーシャルで良く使われる落とし文句だった。

私は韓国で“日本に対する畏敬の念”を人々に感じたこともある。最近(2008年頃)のよろよろした日本に最も憤慨して残念に思っているのは、意外に韓国の人たちであるかもしれない。『どうしたんだ日本?! しっかりしてくれ! お前は俺たちの目標なんだぞ!』なんて歯軋りしているのではないだろうか。

あれだけ日本に親しんでいる国、つまり親日的な国は余りないはずだ。しかし、実際に親日的と言われているトルコで、韓国に見られるような“日本への熱い思い”を感じたことは殆どない。

しかし、韓国語を学んでから韓国の会社で働き、韓国の人たちと密接な関係を持っていた頃は、その“日本への熱い思い”に堪えられないほどの息苦しさを感じていた。

結局、堪え切れずにトルコへ逃げ出した時、トルコが少なくとも“反日的な国ではない”というせこい考えが頭の片隅にあった事実を認めないわけには行かない。

それが、トルコ生活も長くなって、トルコへの思い入れが強まるにつれ、“トルコは親日国”という括り方に何だか不満を覚えるようになってきた。

申し上げたように、“実際、それほど親日的か?”という疑問もあるけれど、それ以上に“トルコの売りは親日だけなの?”という不満がある。

例えば、「三国同盟で一緒に第二次大戦を戦ってくれたから」といってドイツとイタリアが好きになった人であるとか、元大統領が日本の文化に親しみ大の相撲ファンだったからといってフランスに魅了された人が、そんなにいるとは思えない。

この国々は、親日的であろうとなかろうと充分に魅力があると思われているから、何も親日を売りにする必要などないのだろう。

私に言わせれば、トルコだって親日的であろうとなかろうと充分に魅力的な国なのである。その歴史、文化、ぬくもりが感じられる人々、そしてトルコ語。魅力はつきないと思う。

もちろん、日本とトルコの両国で、もっとお互いに関心を抱いてもらいたいとは願っているし、そのきっかけとして“親日”は有効であるかもしれないが・・・。

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