メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

朝鮮戦争参戦記念塔

アンカラ駅の近くに、“朝鮮戦争参戦記念塔”というのがある。以前にも、3回ぐらい、その敷地の前を行き過ぎたけれど、いつも門が閉まっていて、中には入れなかった。
先週、初めて中へ入ってみると、記念塔の周囲には、ベンチに腰掛けて佇んでいる人の姿もあった。散歩の途中にでも寄ったのだろうか? 特に関心があって訪れた人たちではないように思えた。
記念塔は、1973年の建立で、2010年に改修されたらしい。中央の石碑の下には、プサンの国連墓地にあるトルコ人将兵の墓からもたらされた土が収められているという。
記念塔の側壁には、その戦没トルコ人将兵の氏名、出身地等が一つ一つ記されている。それは、724名に及ぶそうだ。参戦したトルコ人将兵は、総員5090人と言われているから、命を落とした将兵の割合はかなり高い。
第二次大戦後、トルコはNATOに加盟する為、朝鮮戦争への参戦を強いられてしまった。その結果、なにが得られたのだろう? 米欧から、特に見返りを受けたようにも思えないのだが・・・。
日本は、その頃、特需景気に沸いていた。勤勉な人々の弛まない努力や科学技術の分野における高い水準も大きな力となったには違いないけれど、戦後、自由主義陣営に与した非欧米国で、日本ほど得した国は他にないような気もする。これには、地政学的な条件であるとか、様々な運も味方したのではないかと思う。
韓国などは、半島の地政学的な条件から、2千年来、酷い目に会わされ続けてきた。その極めつけが、朝鮮戦争と言って良いかもしれない。
朴正熙大統領の生涯を描いた趙甲済氏の「ネ・ムドメ・チムルペトラ(俺の墓に唾を吐け)には、朝鮮戦争の場面も出て来た。

北朝鮮は、突如、分断線を越えて、ソウルまで進撃した。ふいをつかれた韓国軍は規律を乱しながら、漢江に掛かる橋を渡って南へ潰走し、これに続いて、取り残された住民や兵士たちが橋へ殺到する。彼らの背後には、北朝鮮の軍が迫っている。
ここで、潰走した韓国軍の司令官は、北朝鮮軍の追撃を断つため、橋の爆破を命令する。この命令を拒否した将校もいたが、結局、橋は殺到した住民らを乗せたまま爆破されてしまう。川岸からは、人々や車の群れが、吹き飛ばされて宙に舞う光景が見えたそうである。
諸説あるが、朝鮮戦争で韓国が被った人命の損失は、250万~300万に達したらしい。これは、太平洋戦争における日本の損失に匹敵する。人口比を考えたら、とてつもない数字と言えるのではないだろうか。
太平洋戦争後に、多くの日本人が平和を希求してやまなかったように、独立間もない韓国の人たちも、強く平和を望んでいたに違いない。しかし、めまぐるしく変化した国際情勢の中で、恐ろしい運命がその願いを反故にしてしまったのだと思う。 

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