メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

オスマンジュクの水田風景

先週の水曜日、イスタンブールからサムスンへ行くバスは、ボルを過ぎるまで、イスタンブールアンカラ間の高速道路を走り、そこから一般国道に下りてサムスンに向かった。
国道と言っても、有料じゃないだけで、立体交差が多く、高速道路並みに整備されている。あの辺は、多分、20年以上前に、何度か夜行バスで通ったはずだが、昼間の景色を眺めるのは初めてだったと思う。
途中、トスヤという地域に差し掛かった辺りから、山間の谷沿いに水田風景が続き、思わず目を奪われた。トルコで、これほどの水田風景は、それまで見た覚えがなかったからだ。
谷沿いには、水量の豊かな川が流れ、これが稲作を支えているように思えた。“オスマンジュクまで何キロ”といった標識が目に付くようになってから、徐々に視界が開け始め、谷沿いというより盆地らしい風景になって来たけれど、そこにもずっと水田が広がっていた。
オスマンジュク”というのは、以前から米のブランドらしきものとして認識していたが、どうやら米の産地の地名だったようだ。うちの近くのスーパーでも、“オスマンジュク”という名の米を売っている。ここで取れた米かどうかは解らないが・・・。
バスは、オスマンジュクのドライブインで、30分ほど休憩したので、少し先まで歩いて行き、水田風景を写真に収めて来た。通り過ぎた沿道のドライブインには、“オスマンジュクのピラフ”という看板も出ていたから、そういうピラフがあったら食べようと思っていたけれど、このドライブインのメニューにはなかった。ただ、“オスマンジュク特産の米”が、売店の目立つところに積み上げられていた。
ウイキペディアで調べて見ると、米は東洋が原産で、段々と西へ伝わって行ったらしい。「スペインやイタリアに稲作をもたらしたのはアラブ人である」などと記されていた。
しかし、ピラフも含めて、米の伝播には、中央アジアのトルコ系民族も一定の役割を果たしたように思えるが、どうなんだろうか? イタリアの米も、ひょっとしたらアナトリアから伝わって行ったのかもしれない。 

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