トルコの植物性油は、ヒマワリ油が安くて最も多く出回っているようだ。8月頃に、トラキア地方をバスで旅すると、一面黄色くなったヒマワリ畑が果てしなく広がっている光景に目を奪われる。
でも、トルコでサラダにかけるのは、何と言ってもオリーブ油だろう。植物性油は加熱せずに生で使えば健康にも良いらしい。トルコの人たちは、焼き魚にも生のオリーブ油をかける。
それから、ナスを炭火で焼いて皮を剥き、オリーブ油をかけて食べたりするけれど、これが実に美味い。他にも、オリーブ油と野菜を使った料理が、トルコにはたくさんある。
やはり、古代ギリシャからビザンチンを経て現在に至るまで、この地域は食生活の面で、とても豊かだったのではないかと思う。
現在のトルコ人は、中央アジアから伝わったトルコ語を話しているものの、料理を始め、様々な文化にビザンチン以来の要素が見られるそうだ。オスマン帝国になっても、住民が全て入れ替わったわけではないから当たり前かもしれないが・・・。
トルコでは、イスラムの聖人を祀った霊廟に、ロウソクを灯す信者がいて、これもビザンチン文化の名残ではないかと言う人がいる。そもそも、偶像崇拝を禁じるイスラムには霊廟などなかったらしい。
4~5年前だったか、私はこれを、エール大学の教授であるというアメリカ人女性に尋ねてみた。彼女はオスマン史が専門で、多少英語風に訛っているとはいえ、流暢なトルコ語を話す。
「ロウソクを灯す風習はイランにもあり、このアナトリア地域では、有史以来、ギリシャ的な文化とペルシャ的な文化がお互いに影響し合い、いずれが起源なのか良く解らないものがたくさんあります」というのが彼女の説明だった。
この女性とどういう縁でめぐり会ったのかと言えば、話はさらに5~7年ぐらい遡る。当時、スルタンアフメットの土産物屋でバイトしていたルザというイラン人留学生の青年と親しくなったが、暫らくして、彼は同じイスタンブール大学に留学していたアメリカ人女性と所帯を持ってアメリカに渡ってしまった。
その後、5年ぐらい経って、生まれた子供と夫人を伴い、スルタンアフメットを訪れていたルザと再会したが、夫人はエール大学の教授となり、ルザは夫人の口利きでエール大学図書館の司書という職を得ていたのである。
ルザの夫人には、もう一つ質問してみた。「アメリカの人たちには、いろんなルーツがあるけれど、貴方のは何処ですか?」
そしたら、彼女は窓の外を指差して、「ここです。イスタンブールです。まあ、タルラバシュのほうですが・・」と言って笑った。御両親は、イスタンブールからアメリカに移民したルム(トルコのギリシャ人)だったが、彼女はアメリカで生まれ育った為、母語は英語であり、オスマン史を専攻するようになってから、ギリシャ語もトルコ語も勉強したそうだ。
この夫婦がイスタンブールで知り合ったというのも、何だか深い縁であるような気がする。ギリシャとトルコ、そしてペルシャ、イスタンブールの歴史と文化はとても深い。だから、食文化も豊かで料理が美味い。