メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ヒディヴ邸とエジプト領事館

7月27日、母と連れ立って、ボスポラス海峡に臨むアジア側の高台にあるヒディヴ邸(ヒディヴ・カスル)を訪れた。
その数日後、対岸のヨーロッパ側に渡り、ベベクの街を案内していたら、ボスポラス海峡沿いに見える古めかしい建物が何であるのか母に訊かれた。
言われてみると、確かに由緒のありそうな建物に思えたが、イスタンブールにこの手の建造物は山ほどあるから、長年住んでいる内に感覚が麻痺していたのかもしれない、何度もこの街を歩き、その度にこの建物を見ていたはずなのに、『何だろう?』と思ったことは一度もなかった。
近くを散歩していた人に尋ねたところ、エジプト領事館の建物だと言う。家に帰ってから、ネットで由来を調べてみると、1902年、エジプトの統治者アッバスヒルミ2世の母堂の為に建てられたそうだ。つまり、主はヒディヴ邸と同じエジプト統治者の一族だった。
ヒディヴは、オスマン帝国がエジプトの統治者に与えた称号で、日本では“ヘディーヴ”と言い表している例が多い。ヒディヴ邸は、アッパス・ヒルミ2世が、自分の邸宅として、1907年に創建している。
エジプトは、1805年にムハンマド・アリー朝が、オスマン帝国から独立したことになっているけれど、支配者一族はトルコ語を話し、その後もイスタンブールで暮らし続けたようである。

イスタンブールの領事館が雑居ビルの中にある我々日本人からすると、ボスポラス海峡に面した素晴らしいロケーションに領事館があるなんて羨ましい限りだが、エジプトとトルコの歴史的な繋がりを考えてみれば、当然のことであるかもしれない。
それに、現在のエジプト情勢を伝え聞いたら、羨ましい所なんて一つもない。同情の念を禁じ得ないくらいである。
エジプトという国は、一度も訪れたことがないし、エジプト人の知り合いもいないので、その風俗や最近の情勢については、報道や伝聞に頼るしかないが、トルコとは社会の様子が大分異なるように思える。
同じイスラム教の国であるため、トルコとエジプトは一括りで語られることが多いけれど、同じキリスト教の国と言って、ノルウェーベネズエラアメリカ、フィリピンを一括りで見るだろうか?
エジプトでラマダン中は、面会の約束もなかなか守られないらしい。

トルコでは、かなり厳格なムスリムであっても、多くの場合、面会の約束や業務を優先する。“断食を実践する為に仕事は休み休みで良い”なんて理屈は余り通用していない。敬虔なムスリムの間でも、「自分の仕事を果たして、可能であれば実践するように」というのが既に一般的な教義解釈になっているのではないかと思う。
政権与党のAKPにしても、「既にイスラム主義の政党ではない」という認識を示す人が増えて来ている。しかし、エジプトのムスリム同胞団という組織が何を目指しているのか、私には全く解らない。
一昨年、エルドアン首相がエジプトを訪れ、政教分離を勧めたところ、ムスリム同胞団は、これを内政干渉と看做して反発したそうだ。
一説によると、ムスリム同胞団が目指しているのは、「イラン革命スンニー派バージョン」であるらしい。
しかし、だからと言って、クーデターで弾圧して良かろうはずがない。しかも、狙撃手まで動員して、市民を撃ち殺したという。事実とすれば、背筋が冷たくなるが、狙撃手が写っている映像も配信されている。
あれは、ひょっとすると、外国のメディア経由でエジプト市民の目にも触れるのを承知で、わざと見通しの良い所に狙撃手を配置したのではないかと勘繰ってしまった。ビルの上から狙撃手が狙っているような所では、恐ろしくて市民は何も言えなくなってしまうだろう。それが狙いだったのでは・・・。
そこまではなかったとしても、武力弾圧で多数の死者が出ている。このような恐怖で締め付けるやり方をいつまで続けられるだろうか? 短期的にはどうだか解らないが、いずれは破綻する、破綻しなければならないと思う。
こんなことを考えたら、あのエジプト領事館の優雅な佇まいも、何だか悲しく思えてくる。

f:id:makoton1960:20191013164656j:plain

f:id:makoton1960:20191013164713j:plain