メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「韓国~ベトナム~イラン~トルコ」

《2010年6月12日付けの記事を修正して再録》

ハンさんは95年頃にトルコから韓国へ帰国されたらしい。

ハンさんの人生は、なかなか波乱万丈だったようである。75年のサイゴン陥落までは南ベトナムで仕事をしていて、その後はイランへ行き、ホメイニの革命後も暫くイランに留まったものの、結局、仕事にならず、トルコへ渡って来たと聞いている。

私は92年にイスタンブールへ越してから、キム・ドゥギョンさんという韓国の方とも知り合ったが、この方も同様に、ベトナム、イランを経てトルコへやって来たそうだ。

キムさんは、ハンさんより少し年上じゃなかったかと思うが、かなり歳の離れたベトナム人の奥さんと、その間に生まれた二人のお子さんがいた。

ベトナム語も話していたけれど、なにしろ日本語が大変流暢で、殆どネイティブではないかと思えるほどだった。

「日本へ行かれたことがありますか?」と尋ねたら、「いや一度もないんです。行ってみたいですねえ」と答えたので少々驚かされた。

それから、99年に、また5ヵ月ほどイズミルで暮らした折に、一度、キオス島へ渡って滞留期間の延長を図ったが、この時は、キオス島でホテルを経営している韓国の方を訪ねてみた。イズミルの韓国の人たちからホテルの場所等を聞いていたのである。

キオス島では、かなり大きいホテルらしく、タクシーの運転手に名前を告げたら、直ぐに連れて行ってくれた。

この韓国の方は、ハンさんより一回り若いように思えたけれど、驚いたことに、やはりベトナム、イラン経由だった。まあ、終着駅は少しずれているが・・・。

この三人の韓国の方が、何故、ベトナムとイランで仕事されていたのか、詳しい話は聞かなかった。米国と何か関係があったのではないかと思う。

しかし、ベトナムではサイゴン陥落を前に脱出したと言うものの、イランではホメイニの革命後も少しイランに留まっていたようで、この辺りの事情が良く解らない。

皆さん、日本について恨みがましいことは全く口にされていなかったけれど、朝鮮戦争ベトナム戦争、まさしく冷戦の矢面に立たされ続けた人生であり、その間、ぬくぬくと高度成長に浸っていられた日本人に良い感情を持つのは難しいように思えてしまう。

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