メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

88年の韓国ソウル

1987~88年の当時、韓国の人たちが「日本へ畏敬の念を懐いていた」というのは大袈裟で言い過ぎだったかもしれないが、秘かな敬意を持って、反日やっていた人は決して少なくなかったと思う。
あの頃の日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか言われて絶好調だった。
「日本に追いつき追い越せ」で盛り上がっていた韓国では、「このまま日本を追い越したら、我々は世界第2の経済大国になってしまうが、そんなこと可能だろうか?」「だから、無理に決まっている。日本を軽く見てはいけない」なんて議論がメディアを賑わせていた。
日本でも、アメリカを凌駕して「ナンバーワン」となる日が本当に来るのではないかと夢見た人たちがいたけれど、そういう期待感は韓国にも見られた。
そのため、90年代以降の日本の失速は、韓国の人たちも悲しませたような気がする。そして、韓国は日本の後を追うかの如く失速して行く。
結局、持て囃されたほど、日本とアメリカの差は縮まらなかった。訳も分らぬまま浮かれていた私も、おそらく、アメリカの人たちの評価を伝え聞いて一喜一憂していただけに違いない。
私は、以下のように、当時のソウルで、アメリカ人から手を差し伸べられて喜んでいたのである。
88年の夏、ソウルのバックパッカー宿に日本人の友人を訪ねたところ、彼が不在だったので、待合室みたいな部屋のテレビでオリンピック中継を観ていると、4~5人のアメリカ人宿泊客が入って来て、私の後ろで一緒に観戦し始めた。 
ところが、中継でボクシングの試合が始まったら、このアメリカ人たちは、「ノーボクシング」とか口々に言い、一人が立ち上がって私の前に割り込むと、勝手にチャンネルを変えてしまった。
ボクシングでは、韓国に買収されたジャッジにより、アメリカ人選手が負けにされたり、他の試合で韓国人選手が負けたら、この選手のトレーナーがジャッジに襲いかかって、「金を渡したのに、何で負けにするんだ!」と抗議(?)したり、スキャンダルが続いていたため、アメリカの人たちは相当腹を立てていたのだろう。
しかし、人が観ているのに、声も掛けずにチャンネルを変える道理はない。私もムッとしてチャンネルを戻すと、テレビとの距離を詰めて、『今度変えたら、ただでは済まさんぞ!』と態度で示してやった。
アメちゃんたちは、後ろで「コーリアン」がどうのこうのと喚いていたけれど、私は英語が良く解らないからどってこともなかった。 
それから少したったら、日本人の友人が帰って来た。彼が流暢な英語で、顔見知りらしいそのアメリカ人たちと、にこやかに挨拶を交わしてから、私を彼らに紹介したところ、彼らは、急に笑顔になって私に手を差し伸べ、「ユーアージャパニーズ・・」とか何とか言いながら喜んでくれたのである。