メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国とトルコの知識人

日本でトルコ語を学び始めた頃、トルコ料理屋へ行って、トルコ人の調理師さんに、覚えたばかりのトルコ語で挨拶したら、誰に習ったのか訊かれたので、トルコ人の先生のお名前を伝えたところ、調理師さんは、「某に宜しく!」と先生の名を呼び捨てにしていた。

先生はかなりインテリな方だったし、年齢的にも調理師さんより一回り上に見えたから、『そういうフランクな付き合いがあるのか』と驚いた。その2年前に留学していた韓国では、ちょっと有り得ない話じゃないかと思った。

私は、韓国の社会で、“先生”や“知識人”といったものが異様に崇め立てられているのに、多少辟易していた為、『トルコの社会はなかなか良いかもしれない』と嬉しくなった。

しかし、後年、先生にこの思い出を話したら、「無作法な・・」と立腹されていたので、がっかりしてしまった。

もちろん、この一つの事例だけでは、何とも解らないが、その後、トルコで暮らしてみると、やはり韓国ほどには、一般の人々が、“先生”や“知識人”から圧迫を感じていないように思えた。

なにより、トルコでは、“ホジャ(師匠・先生)”という呼称が、日本と同様に少し嘲笑的な意味合いで使われたりする。「先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし」がそのまま通用しそうだ。

今は韓国も変わっただろうか? 相変わらず“知識人”は偉そうにしているような気がするけれど・・・。

李朝時代、学者はソンビと呼ばれていて、韓国にはソンビ精神の伝統が受け継がれているらしい。韓国にいた頃、これを日本人の友人らと「ソンビじゃなくて、ゾンビじゃねえのか?」と論ったりしたものだ。

韓国では、このソンビに比して、大企業の創業者などが、それほど尊敬を集めていないように見える。例えば、サムスンの創業者イ・ビョンチョル氏も、松下幸之助翁のようには語られていない。イ・ビョンチョル氏には、政商というイメージもあるし、何より親日的であったことが災いしているかもしれないが・・・。

でも、ソンビにしたって、なんの実益も上げていないばかりか、西欧の知識人のように、世界に何かを発信したわけでもないだろう。

日本では、まず何をおいても、実質的な生産の担い手であるメーカーを始めとする企業の創業者・経営者、科学研究者、技術者が世間の尊敬を集めているんじゃないかと思う。

そして、企業家や知識人の中には、いろんな人たちと結構フランクな付き合いをしている人も少なくないような気がする。日本語の構造上、呼び捨てはなくても、“ちゃん付け”ぐらいあるだろう。日本では、昔から“川下”が強かったのかもしれない。私は日本に生まれて良かった。

トルコはどうだろうか? 日本に比べて、知識人は遥かに“偉い”が、韓国ほどではないように思える。調理師さんにも、“先生”を呼び捨てに出来る余裕がある。あれは本当に韓国では有り得ないと驚かされた。

さらに、この10年で、知識人は、かなり評価を下げてしまった。今やトルコの“川下”では、能書きしか生産しない知識人より、一部の新興企業の創業者の方が尊敬されているかもしれない。まあ、それよりも、今のところは何と言ってもエルドアン首相なんだろうけれど・・・。

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