メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの親日家?

2013年の3月だったか、長年日本と関わってきたトルコ人の友人から、思い切り日本への不満をぶつけられてしまった。

― いつまで経っても、“親日トルコ”といった陳腐な紹介を試みようとする。まるで、親日だから相手にしてあげるようだ。何処までトルコを馬鹿にしたら気が済むのか。近隣の国々と友人になれず、親日国を探して世界を彷徨い、トルコと友達になりたくてしょうがないのは日本のほうだろう。―

確かに、日本のある人たちが語る「親日トルコ」には、トルコを小馬鹿にしたような雰囲気を感じたりする。

SNSで「親日トルコのオルレアン首相・・・」という投稿に驚いたこともあった。オルレアン首相っていったい何処の国の人なのだ? 

おそらく、この人が興味を持っているのは「親日」だけであって、「トルコ」の方はどうでも良いのだろう。だから、トルコについては何も調べていない。首相の名前も解っていない。この人のハンドルネームがまた凄かった、「アンチコーリア」である。

こういった「親日トルコ」願望には、『顔つきなどを見ているとヨーロッパ的なところもあるけれど、アジアの国らしいから、西欧に対するコンプレックスを感じなくても済む・・・』といった心情が潜んでいたような気もする。

しかし、親日的なトルコの人たちの一部にも、それと余り変わらない心情は見られるかもしれない。『西欧人のようにトルコを見下したりしない、対等かこちらが少し見下しても構わないアジアの友人』として日本を見ているのではないか、そんな風に感じてしまったこともある。

2011年頃、アナトリア通信の友人に呼ばれて、新聞記者協会の立食パーティーにのこのこ出かけたところ、4人ぐらい集まって談笑していた老齢のジャーナリストに呼び止められた。

その80歳は過ぎていたと思われるジャーナリスト氏は、「日本人? 日本人は凄いね、船に玩具の材料を積み込んで、太平洋を渡る間に組み立ててしまうというんだから賢いよ」とだけ言って笑い、『君はもういなくなって宜しい』という手振りで私を解放してくれた。多分、相手がいくら若くても、欧米人にああいう態度は取らなかったのではないかと思う。

マリアさんの友人で、2009年の9月に86歳で亡くなったアルメニア人のガービおじさんも、トルコ語アルメニア語、イタリア語、フランス語をこなし、ギリシャ語と英語もかなり解るというインテリだったから、日本の歴史にも詳しく、東郷平八郎山本五十六を盛んに称賛していた。

ところが、機嫌が悪かったりすると、何処で観たのか映画「楢山節考」のストーリーを持ち出して、次のように語ったりしたのである。

「日本には爺さん婆さんを山に捨てる習俗があったらしい。まあ、文化も文明もない野蛮な国だったからな。こうやって足を縛り付けて、ドンと突き落としたら、コロコロ転げて落ちて行くんだよ。ハハハハハ」

特に、「ドンと突き落としたら、コロコロ・・・」が面白かったらしく、ジェスチャーを交えて何度も愉快そうに繰り返しながら大笑いしていた。

なんだか、こうした見聞で、東郷平八郎を称賛したりしたこの世代のトルコの知識層が、実際には日本をどう見ていたのか解るような思いがして、私は半分納得しながら非常にがっかりした。

西洋文明の揺籃の地に栄えたオスマン帝国の末裔にしてみれば、当然、そのように見ていたのだろう。「東洋の野蛮国がロシアやアメリカを相手になかなか頑張った。褒めてやりたいよ」ぐらいの気持ちだったのかもしれない。

また、2011年の1月だったと思う。日本通の「親日家」を自称して、日本語もある程度話せる同年輩のトルコ人女性から、ある会合への出席を依頼された。

彼女は、そこで日本について説明しなければならなくなったものの、全ての質問には答えられないかもしれないので、私に手伝ってもらいたいと言うのである。

しかし、その“日本についての説明”ときたら、「日本語も中国語も全てウラル・アルタイ語族である」とか、「日本人の祖先はアイヌ人である」とか、『???』という話ばかりで、「私の説明に間違いがあったら直してください」と言われても、全く直しようもない代物だった。

会合の後、女性の友人である“退役トルコ軍将校”も交えて、3人で雑談しながら、日本映画の話題になると、彼女は「今まで観た日本映画では、“楢山節考”が一番好き」と嬉しそうに話し始めた。

それを聞いているうちに、ガービおじさんの「ドンと突き落としたら、コロコロ・・・」を思い出し、彼女の言い方にも、充分に嘲笑的な雰囲気が感じられたため、私は思わずムッとして言い返した。

「ああイマムラの映画ね。観ていませんが、イマムラはそういう映画を良く作ります。あれはスキャンダラスな監督ですよ」

そうしたら、退役将校は『あっ、この日本人、むきになって来たぞ』と思ったか、ハハハハと愉快そうに笑い、それがあまり嫌味な笑い方でもなかったので、私もつられて笑ってしまったが、彼女は「えっ? イマムラって何?」なんて言い出したのである。

「その“楢山節考”の監督ですよ」

「嫌だわ、あれってクロサワの作品じゃなかったの?」

これでもう何も言い返す気がなくなった。凄い「親日家」である。まあ、さすがに、こういう親日家は、私と同じ世代か、それ以上の年配者に限られていると思う。今のトルコの若い人たちは、特に親日を強調しなくても、私より、よっぽど最近の日本映画に詳しかったりする。

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