メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

米国の庇護下におかれているギュレン師

フェトフッラー・ギュレン師の教団は、1970年代の中頃にイズミルで形作られ、90年代以降、急成長を遂げた。その活動には、当初より欧米西側諸国からの支援があったのではないかと言われているけれど、冷戦の時代は、ギュレン師の教団に限らず、そういった幾多のカルト的な新興教団が共産主義に対抗する勢力として支援を受けていたようだ。

その中でギュレン教団が特異なのは、冷戦終結後、「穏健なイスラムを世界に広める」という趣旨で、さらなる支援を取り付けたところだそうである。教団は90年代以降、世界各地にトルコ語の学校を設立して急成長を遂げるが、それは大きな資金援助と各国政府による便宜がなければ到底成し得なかった規模であるという。教団の学校は、米国の他、西欧や日本といった親米諸国に多く、反米的なイランには全く進出することができなかった。ロシアでも、プーチン大統領が「あれはCIAのエージェントだ」と疑念を懐いたため制限されたらしい。(現在は全て閉鎖されている)

原理主義的なイスラム勢力を弱めたいのであれば、政教分離トルコ共和国の宗務庁が管理するモスクや文化センターを各国に設立してもらうのが最も効果的ではないだろうか? 宗務庁のモスクは、ギュレン教団のように宣教活動でイスラムを広めたりしない。そうではなく、政教分離に基づくイスラムの有り方が伝播されるだろう。

ところが米国は、原理主義的なワッハーブ派サウジアラビア、そしてイスラム過激派の温床と言われているエジプトを熱心に支援し続けている。これでは、ギュレン教団への支援が「穏健なイスラム」のためだったのか非常に疑わしくなってしまう。
現在、トルコ政府が再三にわたって引き渡しを要求しているにも関わらず、未だに米国の庇護下にあるフェトフッラー・ギュレン師は、1999年の3月に米国へ渡航している。その1ヶ月ほど後には、CIAの協力によってPKKのオジャラン氏がトルコへ引き渡された。各々の出来事に何か関係があったのかどうかは今もって謎に包まれたままだ。
いずれにせよ、多くの疑惑が取り沙汰されているカルト的な教団を庇護し続ければ、その害は結局、米国にも及んでしまうのではないかとトルコの識者らは懸念しているのだが・・・。