メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

稚拙なクーデター/ギュレン教団

 トルコのAKP政権寄りメディアの報道によれば、クーデターを企てた一派は、かなり前から入念な計画を練っていたらしい。ところが、軍内部のギュレン教団系への捜査が進んだため、計画を前倒しにして、不充分な準備のまま、クーデターの決行に踏み切ってしまったという。
しかも、当初は、16日の未明3時に決行する予定だったものの、不穏な動きを察知したフルスィ・アカル参謀総長が、15日の夜遅くになっても参謀本部から離れず、対策を講じ始めたことにより、突然決行するに至ったと説明されている。
確かに、こういった説明でも聞かない限り、足並みのそろわない稚拙なクーデター計画は、様々な憶測を呼んでしまう。例えば、クーデターが未遂に終わった直後から、SNSでは「エルドアンが仕組んだ陰謀説」まで囁かれていた。
これは既に、エルドアンに反対する多くの識者も否定しているけれど、ヒュリエト紙のムラット・イエトゥキン氏が、陰謀説を否定する理由の一つに上げた仮定はなかなか興味深い。「軍内部のエルドアンを嫌う将兵らが、虚構のクーデターと知らずに合流してしまう危険があった」と言うのである。
さらに、イエトゥキン氏は、ギュレン教団系一派によるクーデターの疑いが濃厚としながらも、単に“反エルドアン”であるがために、クーデターへ加わった将校たちもいたのではないかと推測している。
最近、軍はあからさまに保守的な傾向を見せるようになっていたので、これに不満を懐くラディカルな政教分離主義の将校がいたとしても不思議ではない。
また、2013年の12月の“司法クーデター”以来、AKP政権は、司法内に巣食っていたとされるギュレン教団系の判事や検察官らを徹底的に排除したうえ、教団系の新聞社(旧ザマン紙等)も閉鎖して、ほぼこの勢力の一掃を成し遂げたかに見えていた。それが何故、軍の内部には存在していたのだろう?
昨日(7月17日)の“ハベルテュルク”のニュース番組に出演したジャーナリストのナゲハン・アルチュ氏(女性)も、軍の内部にギュレン教団系が何故放置されていたのかと疑問を呈していたが、同じく女性ジャーナリストのベンギス・カラジャ氏は、これに次のような趣旨の説明で答えている。
軍部は、既に長い間、クーデター計画の追及を受け、非難に晒され続けてきた。これは結局、司法内に巣食っていたギュレン教団系の“でっちあげ”であるとして片づけられたものの、軍部には大きなトラウマが残った。そのため、「また証拠もない罪に問われるのか?」という反発もあり、捜査は思うように進まなかった・・・。
カラジャ氏によれば、ギュレン教団のメンバーは、目的のためには身分を隠して、必要とあらば酒も飲めたりするそうだ。こうして宗教色を全く見せようとしないので、他の将校らと区別するのは非常に難しかったという。
しかし、今回の事件で、クーデターを企てた一派は、軍の同僚に対しても躊躇うことなく攻撃を加えたらしい。ナゲハン・アルチュ氏は、そればかりか国民にも銃口を向けて殺害した彼らについて、「トルコ軍の伝統が全く感じられない、まるでISのテロリストのようだった」と述べている。
いずれにせよ、軍の内部に、伝統的なトルコ軍人の精神とは無縁な連中が巣食っていたのは間違いないようだ。これに驚愕した軍部も、こういった連中の清算を急ぐのではないだろうか?
ところで、ナゲハン・アルチュ氏は、この番組の中で、「ラシム(夫)が3月27日に『ロシア機を撃墜したF16のパイロットも含めて、F16パイロットの半数はギュレン教団系だ』と書いたら、参謀本部に呼び出されて大変な目にあった」なんて話を披露していた。
どうやら、「ロシア機を撃墜したのはギュレン教団系」というのは、ドウ・ペリンチェク氏が明らかにするまでもなく、結構出回っている説らしい。
早速、その3月27日付けサバ―紙のラシム・オザン・キュタヒヤル氏のコラムに目を通してみたところ、「アメリカがトルコを標的にした作戦を敢行中である」という、まるでアメリカに喧嘩を売っているような内容の記事だった。
クーデターを企てたのはギュレン教団系の一派というのが事実で、フェトフッラー・ギュレン師の送還をアメリカに求めるとしても、巧く穏やかにやらなければ、トルコが賊軍にされてしまいそうで恐ろしい。
もちろん、国民向けの強気な発言と、実際の交渉は全く異なっているに違いないけれど、もともとトルコでは、左派右派を問わず反米感情が根強い。さらに、それを煽らなくても良いだろう。フェトフッラー・ギュレン師の教団など、その反米感情を和らげるのに、なかなか貢献していたんじゃないかと思えるくらいだ。
しかし、ギュレン教団にグローバル的な思想があり、トルコ民族主義的と言えないのは確かかもしれないが、「世俗主義的なイスラムを広めようとしていた」というのは、どうだろう?
私が親しく付き合ったギュレン教団の人たちは、皆、紳士的で教養があったけれど、やはり生真面目なムスリムであり、トルコの標準からすれば、それほど世俗的であるとも思えなかった。
トルコのイスラムの大部分は、そもそも世俗主義的である。AKPもその例外ではない。エルドアン大統領は、平気でイスタンブールのバーに立ち入って「売り上げはどうですか?」と訊き、性転換した同性愛者の歌手ビュレント・エルソイ氏と握手する“敬虔なムスリム”なのである。
今起こっているのは、「自分たちの歴史と伝統に誇りを持とう」といった保守回帰ではないだろうか。その中にはオスマン帝国以来の世俗的なイスラムの信仰もあるけれど、欧米が神経を尖らせているのは、“オスマン帝国の栄光”を遠慮なく誇り始めたトルコ軍であるかもしれない。
先週、サバ―紙のコラムで、歴史学者のシュクル・ハニオウル氏は、トルコ共和国が、オスマン帝国の歴史を全否定しようとしたのは間違いであり、今また共和国の歴史を否定して同じ間違いを繰り返してはならない、歴史を継続性と変化の面で捉えるべきだと論じていた。
おそらく、エルドアン大統領、AKP、そしてトルコ軍も、既に同様の歴史観を共有しているのではないかと思う。オスマン帝国の歴史を誇っても、オスマン帝国に戻ろうとはしていないはずだ。
こういったトルコの歴史と現在の社会を見れば、ギュレン教団が特に世俗主義的であるとは考えられない。