メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

無信仰者の意見に対するムスリムの反応   挙国一致でクーデターに反対「いい加減にしろ!」

(7月25日)

私はイスラム教徒じゃないし、キリスト教徒でもない。家の宗派は一応浄土真宗だけれど、「南無阿弥陀仏を唱えれば成仏できる」なんて話も、もちろん信じていない。

神道にも、伝統的な習俗として、あるいは観光的な面で多少興味を感じる程度だ。自分では全くの無信仰だと思っている。まあ、強いて言うなら、俗にいう「日本教」の信者ではあるかもしれない。

こういう人間にしてみれば、コーランやバイブルといった聖典も、当然、誰かが著した書物に過ぎない。

トルコでは、ラディカルな政教分離主義者を相手に、こんな話をしても、反発されるどころか、もろ手を挙げて賛同されたりする。

相手が“敬虔なムスリム”の場合、最初からこの手の話題を避けているが、教養のある“敬虔なムスリム”の中には、「コーランの作者はムハンマド」を前提に、「イスラム儒教に似ているような気がする。いずれも何だか“老人の説教”を思わせる」なんて論じても、「信仰の無い人間の意見」として聞いてくれる人もいた。

アンカラ大学の神学部を卒業して、長年、宗教科の先生を務めていた友人などは、まずどんな議論を吹っかけても大丈夫である。彼が興奮するのは、宗教よりも民族問題でトルコが批判された時じゃないかと思った。

そのレベルにもよるが、神学部では、イスラムに限らず、他宗教の研究も行っているので、神学部卒の宗教の先生は、かえって非常にオープンだったりする。

ところが、昨年だったか、AKPとエルドアンを嫌う政教分離主義者に、以上のような「信仰の無い人間の意見」を論じ始めたら、「何を言うのか? コーランは神の言葉である」と怒られてしまったので大いに焦った。

つまり、その人の宗教に対する考え方を推し量るうえで、「エルドアンを嫌う政教分離主義者」とか、「エルドアンを支持する“敬虔なムスリム”」などという区分けは、余りあてにもならないらしい。

私は、6年ほど前にも、政教分離主義者だから云々といった先入観で話に合わせようとして失敗したことがある。相手は、軍関係の書籍を多数扱っている出版社の経営者で、軍部を熱心に支持するアタテュルク主義者だった。

飲酒を嗜み、西欧型のライフスタイルを身につけていたから、『敬虔なイスラム女性がスカーフを被っているのも快く思っていないだろう』と勝手に考えて話を進めたところ、「我が国の女性たちが被っているスカーフについて、外国人からとやかく言われる筋合いはない! スカーフを被って何が悪い!」と激昂されてしまった。

彼は、軍の中でも“オスマン帝国の栄光”を遠慮なく誇り始めた右派を代弁していたのかもしれない。

昨日だか一昨日のニュース番組で、ギュレン教団がどうやって軍の内部に“浸潤”できたのか論じた識者は、士官高校に子弟を入学させるのは、そもそも貧しい農村の家族が多い点を指摘していた。

貧しい農村の家族は、大概、イスラムの信仰に篤い人たちだから、教団から送り込まれた子供たちが、その中で浮いた存在になることもなかったはずだと言うのである。

しかし、教団の子供たちはともかく、農村の家族で篤い信仰を教えられてきた子弟が、西欧的な軍の中で、その心情を抑えて来たのであれば、それが健全な状態であったとは、ちょっと考えられないような気がする。

それどころか、オスマン帝国以来、西欧化を進めて、欧米に対して恭順な態度を取り続けてきたトルコには、表面化していな様々な不満が潜んでいるとしても不思議ではない。

まずは、エルドアン大統領とその支持者たちが「いい加減にしろ!」と声を出し始め、軍部の右派がこれに続き、クーデター事件で、さらに左派CHP支持者たちの声が加わってきたかもしれない。

昨日(7月24日)、CHPはタクシム広場で「クーデター反対集会」を開催し、これにAKPの議員や支持者たちも合流した。壇上に立ったCHPのクルチダルオウル党首は、ギュレン教団が企てたクーデターの背後にある“外部の力”にも言及していた。

いよいよ、挙国一致態勢による「いい加減にしろ!」の大合唱が始まってしまったのではないだろうか?

とはいえ、クルチダルオウル党首も、死刑制度の復活については、冷静に反対の意を表明していた。こうなると、憲法を改正して死刑を復活させるのは難しくなりそうだ。

そもそも、死刑復活の議論は、始まった段階で、ユルドゥルム首相が「国民の要望に応えて検討する」としながら、「この熱気が未だ冷めやらぬ状況での議論は好ましくない」と釘をさしている。

バランス感覚に優れたトルコの人たちが、熱気にまかせてそのまま突っ走ってしまうことはないと思う。また、そう祈りたい。