メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ネパールの牛は神様ですが・・・

パキスタン本国で金曜日が公休日になるよう望んでいた就学生たちも、日本語学校には金曜日も休むことなく通っていた。
おそらく、日本での就職に成功すれば、金曜日も当たり前に出勤して、特に不満も述べないのではないかと思う。彼らにとって宗教は非常に大事だが、経済活動も生活に関わる切実な問題だからである。
彼らは皆、福岡で箱崎駅の周辺に居住していた。ここにはモスクもあり、パキスタンやインドから来たイスラム教徒が営むレストランや“ハラール”の食材を売る店もいくつか見られる。

彼らはハラールの食材を購入して、自分たちで調理していたと言うものの、送迎の車の中では、コンビニやスーパーで普通に市販されている菓子などを買って来て食べたりしていた。『口に入れる物は全てハラールでなければならない』と硬直しきっていたわけではなかった。
また、昨年はラマダン月に配送センターで働きながら、「この暑さではとても無理です」と言い、断食の戒を破って飲料水を飲んでいた。ラマダン月だけ夜勤に替われば、日中断食しながら楽に働けただろうに、そういう私の提案も笑って受け流していた。
日本の識者らの中には、イスラム教徒の便宜をやたらに図ってやろうと運動している人もいるけれど、放っておいても彼らは自分たちなりに日本の生活へ適応して行くのではないだろうか。
そもそも、飲食等にまでタブーのある宗教はイスラムに限られていない。ネパールやインドから来ているヒンズー教の人たちにしてみれば、神である牛を殺して食べることなど沙汰の限りに違いない。
そういった様々な宗教の人たち全てに配慮するのはとても難しいだろう。ここはやはり彼らの方から日本の生活に適応してもらうよりないと思う。
例えば、あるヒンズー教のネパール人就学生などは、なかなか凄い適応力を発揮している。彼は吉野家の牛丼や焼肉も平気で食べると言い、「ネパールの牛は神様ですが、日本の牛は美味しいです」と笑い飛ばしていた。
イスラム教徒が人口の99%を占めるトルコは、国そのものが現代の国際社会へ適応していると言っても良いかもしれない。飲酒はかなり広範に見られるし、イスラムで不浄とされている豚肉のタブーも厳格に守られているわけじゃない。
その多くは、イスラム各宗派の中で異端的なアレヴィー派や、殆ど無信仰に近い人たちだったりするものの、それなりのイスラム信仰を持ちながら、それほど豚肉のタブーには拘っていない人もいる。
仕事で日本に出張すれば、「豚肉も知らずに食べた場合は構わない」という教えの一節を利用して、「出て来た料理はなんでも食べますから、何の肉が入っているのか絶対に言わないで下さい」と私に頼んだりするのである。こういう人たちは、そのうち「昔の豚肉は不浄でしたが、今の豚肉は衛生的です」なんて言い出すのではないか。
トルコの場合、却って、保守的な農村から西欧へ移民して、ゲットーのようなトルコ人居住地域で固まっている人たちの方が、適応の面で後れている例も見られたそうである。
30年ほど前にトルコで出版された「ヨーロッパの夢」という著作の中で、ジャーナリストのゼイネップ・ギョウス氏(女性)は、ベルギーでトルコ人居住区にあるトルコ人家庭を取材した際、ドアを開けた女の子がギョウス氏の姿を見て、「異教徒が来た!」と親に告げた時の驚きを語っていた。
黒海地方オルドゥ県のユンエに住む友人の弟も、フランスに移住して、そういったトルコ人居住区で暮らしているのだろう。15年間フランスで生活しながら、フランス語は必要がないから全く知らないと言う。もっとも、近年は故郷の農村も大分モダンになったから、彼らもモダンになって、まさかモダンなスタイルのトルコ人女性を見て、「異教徒だ!」と叫ぶ子供はいないだろうけれど・・・。
しかし、イスタンブールのイエニドアンの廃品回収屋さんの親戚で、フランスに移民した夫婦の息子は、逆にフランス語しか話せず、トルコ語は片言の域を出ないらしい。
廃品回収屋さんに訊いたところ、「両親ともトルコ人なのに、家庭でトルコ語を教えなかったようだ。息子はトルコへ旅行に来て、私たちの所へも来たけれど、言葉が通じなくて困ったよ」と残念そうに話していた。多分、そこではトルコ人がゲットーのように固まっていないのではないかと思う。
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