メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

何でも相手の尺度に合わせてしまう日本人?

今はどうだか解らないが、かつて日本では、海外生活の手引書といった本に、以下のような記述が見られたりした。
キリスト教イスラム教の国で、無信仰と自己紹介したら、人間扱いされなくなるから、仏教徒と答えるように・・・」
私も、相手がイスラムの信仰に篤いトルコ人の場合は、面倒くさいので、宗教に関する話を避けたりしている。
しかし、親しい友人に対しては、かなりイスラム的なトルコ人であっても、はっきり「無信仰である」と自分の考えを表明して来た。それで人間扱いされなくなったことなど一度もない。
ああやって相手に合わせながら、自分を引っ込めてしまうのは、何だか日本人だけのような気もする。仏教から儒教キリスト教に至るまで、何でも取り入れて来た“八百万の神”の文化をもっと自信を持って説明すれば良いのではないだろうか?
様々な宗教から教訓を得ようとするのは結構なことだけれど、別にそれらの宗教を礼賛する必要など全くないと思う。向こうは決して“八百万の神”を礼賛してくれない。
また、非常に儒教的な韓国での注意事項として、「従兄妹同士の結婚を明らかにしたら、人間扱いされなくなる・・・」という話も良く聞かされた。
私は両親が従兄妹同士だったため、当初は真に受けて、韓国の人を相手にした場合、なるべくそういう話題を避けるようにしていた。
ところが、ソウルに留学中、語学教室のフリー会話の授業で、在日韓国人の受講生が、「日本人は従兄妹同士でも結婚するから禽獣に等しい」などと発言したので、思わずムッとして、「それでは、私が禽獣に等しいとでも言いたいのか?」と抗議した。 
発言した在日の受講生は、驚いて謝罪しながら、非常に恐縮した様子だった。韓国人女性講師の方も、我々のやり取りを当惑した様子で見守っていたものの、“従兄妹同士の結婚”にそれほどショックを受けたようには見えなかった。
その後、日本へ帰国してから親しくなった韓国人の友人に、この話を伝えたところ、「では、それまで君は“従兄妹同士の結婚”が恥ずかしいことだと思っていたのか? 日本の文化で認められているものなら、韓国人が何を言おうと、最初からそう主張すべきだ」と言われた。確かにその通りだと思う。
日本人には、何でも相手の尺度に合わせてしまう傾向があるかもしれない。逆に、韓国の人たちは、相手の尺度を全く考慮せずに、自己主張を繰り返す傾向があるから、日韓の対話は、いつも何だかややこしくなってしまう。
友好と言えば、とにかく仲良くすることだと思ってしまう日本人が多いけれど、多少、主張をぶつけ合って争いながら築き上げて行く友好が、国際社会では当たり前のような気もする。

merhaba-ajansi.hatenablog.com