メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラムの非生産性という問題

イスラム学者のエクレム・デミルリ氏は、イスラム教徒の非生産性が、ISのようなテロを生み出してしまったとして、イスラムが価値を生み出し、人を育てることができない限り、ISを壊滅させただけでは、問題の解決にならないと述べていた。
しかし、生産性が非常に高いと思われる日本でも、オウム真理教によるテロが発生している。ああいったテロの多くは、他人の成功を妬み、怨望に駆られた連中によって引き起こされたのではないだろうか?
世界中の何処へ行っても生産性が低く、全体的に停滞していたら、皆、それなりに満足できたけれど、西欧だけが突如として生産性を高めて豊かになったため、差をつけられた人々の間に葛藤が生じてしまったように思える。
例えば、イスラエルが西欧の真ん中に建国されていれば、少しは周囲との調和が取られていたかもしれない。
とはいえ、相手を妬んで愚痴を言っても始まらない。デミルリ氏の言うように、自分たちも生産性を高めて競争に打ち勝つよりないのだろう。
「16~7世紀以降、ヨーロッパは変化を遂げ、世界が変わった。一部の人たちによれば、イスラムはその変化に合わせる必要がなかった。しかし、私は必要だったと思う。イスラムと言わなくても、ムスリムの社会はその変化に合わせていかなければならなかった・・・」
デミルリ氏はこう語っていたが、トルコのイスラム的な保守派の中には、「私たちイスラムは、何処で間違ってしまったのか?」といった自己反省に基づいて、解決を模索している人が少なからずいる。
ところが、一部のラディカルな政教分離主義者は、イスラムを自分たちの問題とは思っていないようである。「我々はイスラムじゃない。問題はイスラムの連中である」という態度だから、自己反省にはならない、他者に対する攻撃のようになってしまう。
彼らのイスラムへの視線は、西欧人のそれと余り変わらないのではないかと思う。