日曜日(1月5日)は、「展望台」が廃墟のようになっていた芝崎山に続いて、隣接する「八丈岩山」にも登ってみた。
標高は、僅か172mに過ぎないが、芝崎山よりも遥かに高く、姫路城を見下ろすようになってしまう。そのため、姫路城は周囲のビル群の中に埋もれていて、しばらく何処にあるのか探したくらいである。
しかし、頂上へ至る道は踏み固められていて、結構往来があるらしい。頂上には、小さな祠があり、反対側から登って来たという地元のお年寄りが参拝していた。
祠がとても綺麗になっていたところを見ると、おそらく、かなり頻繁に参拝者が手入れを行っているのではないかと思う。
昨日、「ロシア正教のクリスマスミサ」を観て思ったけれど、信仰には何か強い力があるようだ。
信仰の対象になっている山には往来もあり、祠の手入れが行き届いているのは、やはり信仰の力によるのだろう。クリスマスミサから改めてそれを感じてしまった。
ところで日本には、そういった信仰の力により、山へ登って祠の手入れをしている若者たちがどのくらいいるのだろう? 参拝者の多くは私より年配の方たちであるような気がする。
そうなると、私らの世代が死に絶える頃には、祠のある頂きも廃墟になってしまうかもしれない。「諸行無常」と思えば、それまでだけれど・・・。