メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

エルドアン大統領が宿泊していたホテル

「7月15日のクーデター事件」から数日後、ニュース番組で、エルドアン大統領を狙ったクーデター部隊によるホテル襲撃の状況が報じられていた。 
警護官の宿泊していた部屋に残る銃弾の痕などが映し出されていたけれど、部屋の様子は余り高級なホテルとも思えないみすぼらしいものだった。 
ホテルの外観を捉えた場面もあり、エントランスの上に「Amos Hotel」と大きく記されていたので、ネットで検索してみたところ、以下の三ツ星ホテルであることが解った。

 その時は、『大統領がこんな安っぽいホテルに泊っていたのか?』と驚きを禁じえなかったが、後日の報道によれば、大統領一行が宿泊していたのは、以下の豪華ホテルだったらしい。

のホテル、「9月の犠牲祭の休暇には、“エルドアンが泊まったホテル”として海外からも予約が殺到した」なんて話も伝えられている。  
しかし、あの「Amos Hotel」はいったい何だったのだろう? 警護官が宿泊していて銃撃されたという話も何だか信じ難くなった。クーデター部隊と警官隊との間に銃撃戦があったホテルは、「Casa De Maris Spa & Resort Hotel」という報道も見られる。大分、情報が錯綜していたようだ。

 最近の報道によれば、クーデター部隊が、大統領一行のホテルに到着したのは、深夜の3時近くであり、その頃、エルドアン大統領は、既にイスタンブールの空港に降り立っていたのではないかという。 
クーデター部隊は、ホテルの係員に大統領の居所を詰問し、大統領はとうにホテルから退去したという係員の言葉に耳を傾けず、一行が泊まっていた敷地内のヴィラに手榴弾を投げ込んだそうである。 
クーデターは、もともと深夜3時に決行予定だったのが、不穏な動きを参謀本部に察知されたため、夜10時頃、一部の部隊がボスポラス海峡大橋を閉鎖するなどして決行に踏み切り、足並みが乱れてしまったと言われている。しかし、それにしてもお粗末な“クーデター”だった。 
事件後、ティム・マーシャルという英国人ジャーナリストは、「エルドアンを殺せなかったのがクーデター側の敗因」などと語ったらしいが、大統領襲撃を企てた部隊の一つは、マルマリスに到着した後も、宿泊先のホテルを特定できずに探し回っていたというから、確かに間が抜けている。 
ギュレン教団のメンバーだった軍属の大統領府副官が、その日になって、ようやく大統領の居所を突き止めたものの、時すでに遅かったなんて話も伝えられていた。 
ところで、昨日、ネットであれこれ検索していたら、以下のようなジュムフリエト紙の記事が出て来たので、ちょっと驚いた。 

 「一週間ほど行方の解らなかったエルドアンが、何処にいるのか明らかになった」という表題の記事で、副題には次のように記されている。 
「6日間というものカメラの前に姿を見せなかったエルドアン大統領を、ソズジュ紙が見つけた。エルドアンは、実業家セルカン・ヤズジュのヴィラに滞在していることが明らかになった。ヴィラの周囲には鳥も飛ばせないほど警戒を怠っていないエルドアンは、バルコニーにも出てこようとしない」 
このセルカン・ヤズジュという人物は、エルドアン大統領が宿泊していたホテルのオーナーであり、実際、大統領一行に割り当てられていたのは、ホテル敷地内のヴィラだったらしい。 
記事は、エルドアン大統領がこんな贅沢なヴィラに、自費で宿泊しているのか、それともオーナーが接待しているのか、といった疑惑を重視しているようだけれど、とにかく正確に居場所を突き止めているのは間違いない。 
驚いたのは、この記事の日付と時刻である。「2016年7月15日、19時36分」となっている。これでは、クーデターを企てた連中より、こちらの方が遥かに優れた諜報力を持っていたということになってしまう。 
一方で、クーデターの首謀者らは、2~3日前にこのホテルなどを特定しており、航空写真を撮って、事件当日配下に渡していたという報道もある。もしかして、クーデター首謀者と記者たちは何処かで繋がっていたのか? 果たして真相はどうなっているのだろう? 
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