メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

難民申請中のクルド人に強制送還の可能性

入管法の改正により、トルコへ強制送還されてしまう可能性があるクルドの人たちが抗議活動を行っているという。

記者会見で、10代のクルド人の若者は、トルコ語クルド語も解らないため、送還されたら生活が成り立たなくなってしまうと訴えていた。

どうやら、現行の入管法によると、政治難民申請を続けていれば、その期間は特別滞留許可が与えられるので、この若者の家族はかなり長期間にわたって日本で暮らしていたようである。若者が日本で生まれているのなら、おそらく、その期間は20年近くに及ぶだろう。

私は若者の訴えを聞いて、15年ほど前、やはり強制送還に抗議して、渋谷区の国連大学前で座り込みを続けていたカザンキランさん家族の一件を思い出した。

ザンキランさんは、ガズィアンテプ県の出身であり、難民申請しなければならない状況があったとは、とても考えられなかった。

ガズィアンテプ県のクルド人の多くは、分離独立を主張して悪質なテロ攻撃を繰り返して来たPKKを支持していない。ガズィアンテプはクルド・アラブ系の県民が大半とはいえ、選挙になれば、政権与党のAKPが圧勝する地域である。

当時、カザンキランさんの一件をイスタンブールで友人に話したところ、AKPの支持者でトルコ民族主義的な平均的トルコ人と言っても良い彼は、「なに? ガズィアンテプ出身のクルド人で難民申請? そりゃ大嘘だろう」と呆れていた。

しかし、カザンキランさんが、10年以上、日本で生活していた経緯などを説明すると、「それは可哀想だ。それまで日本の社会は、不法滞在と知りつつ彼らを労働力として使っていたんだろ。それで充分に使い切ったら追放か? ひどいねえ、日本人は。彼らが難民申請するのも無理ないよ」と日本を厳しく非難しながら、カザンキランさんに同情したのである。

その頃、日本で在留特別許可を求めて話題になったカリルさんというイラン人の家族には、小学校から高校まで日本の学校で学び、大学受験にも合格した長女がいて、特別許可の是非が注目されていた。

結局、長女だけが日本への残留を許されたようだが、こういった不法滞在の家族の子供たちはどうやって学校へ行くことが出来たのだろう? 学校の関係者が、カリルさん家族の不法滞在を知らなかったとは思えない。それ以前に、カリルさんを雇用していた会社の関係者も、不法滞在を承知していたはずである。

これでは、トルコ人の友人に、「・・・日本の社会は、不法滞在と知りつつ彼らを労働力として使っていた」と非難されても仕方がない。

カリルさん一家の話も聞いた友人は、「子供が学校へ行くのは黙認し、後になって、不法滞在だからと退去を求めるのは酷すぎる。そんな残酷な仕打ちをするくらいなら、子供が学校へ行く前に退去を命じるべきだ」と憤慨していた。

2017年の4月、トルコでの生活が経済的に難しくなって帰国の途についた私は、トランジットしたモスクワのシェレメーチエヴォ空港で、2人連れのトルコ人と出会った。ユスフさんとフルシットさん。

彼らもガズィアンテプ県の出身のクルド人であり、17~18年の間に何度も日本へ渡航して、解体業等に携わって来たという。フルシットさんは、カザンキランさんとも懇意にしていたそうだ。私はフルシットさんから、カザンキランさんのトルコ語読みが「カザンクラン(Kazankıran)」であることを教わった。

しかし、2人ともクルド民族主義運動などには、それほど興味がないように見えた。「ガズィアンテプ県の人が、難民申請するのは、どう考えても変だよね」と言ったら、同意するかのように「ハハハ」と笑っていた。

そもそも、私が何故、彼らをトルコの人たちであると思ったのかと言えば、通りすがりに聴こえて来た彼らの会話がトルコ語だったからである。

あれから6年経つが、彼らは今でも無事に日本で生活できているだろうか? 彼らの在留資格がどういうものであったのか解らないが、今回の入管法改正で影響を受ける立場なのだろうか?

様々なことが気になるけれど、カザンキランさんの一件から既に15年ぐらい経過したというのに、また同じようなことが繰り返されている状況に呆れてしまう。

日本の社会は、彼らの労働力を必要としていながら、未だに在留資格等々、何の問題も解決していないらしい。

「トルコがクルド人を弾圧している」などと言って騒ぐのは、問題のすり替えを図るためではないかと思いたくなる。

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