この「工事現場の議論」という駄文に記した現場作業員のトルコ人青年は、トルコ語・アラビア語・クルド語のトライリンガルだった。
果たしてどのくらいのレベルでアラビア語やクルド語を話すことができたのか私には解らないが、彼の出生地であるマルディン県等の南東部へ行けば、この手のトライリンガルはさほど珍しいものでもないらしい。
93年か94年、南東部を旅行した際、ウルファの近郊を案内してくれた地元の青年に、「あなたはクルド人ですか?」と尋ねたところ、「私は、トルコ語・クルド語・アラビア語を全て同じレベルで話すことができるムスリムです」と返答されたこともあった。
トルコ語にはアラビア語やペルシャ語からの借用語が多く含まれているため、共通する単語はかなりあるかもしれないが、文法に基づく分類ではトルコ語が「ウラル・アルタイ語族」であるのに対し、アラビア語は「セム・ハム語族」、ペルシャ語系統のクルド語は「インド・アーリア語族」となっていて、この3つの言語を習得するのが容易とは思えない。
そのためか、彼らの中には、第4の言語として英語等を短期間に学んでしまう人も少なくないそうだ。非常に言語能力の高い人たちなのである。
しかし、大陸の国々でこういった例は他にいくらでも見られるのだろう。
中央アジアのタジキスタンとウズベキスタンには、タジク語・ウズベク語・ロシア語のトライリンガルも多く、タジク人なのかウズベク人なのか区別するのが難しかったりするらしい。周囲の状況に応じて、自身を「タジク人」、あるいは「ウズベク人」と言い分ける人もいるという。
おそらく、「国民国家」なるものが現れる前は、世界の何処へ行っても同じような状態だったのではないかと思う。
明治以前の日本も例外ではなかったかもしれない。「日本永代蔵」か何かで、ある人が複数の言葉を習得して商いに成功したという話を読んだ記憶がある。
この場合の言葉・言語とは、江戸語・関西語・鹿児島語・津軽語といったものだったに違いない。
それは現代の日本人が英語や中国語を習得して事業に成功するのと変わらなかったような気がする。
今後、日本でも、移民や彼らとのハーフが増えていけば、トライリンガルもそれほど珍しい存在ではなくなるかもしれない。これにわくわくするような期待感を覚える人は少なくないだろう。