メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「母語」を受け継ぐのは容易じゃないらしい?

難民申請していたクルド人の子息が「話せるのは日本語だけでクルド語もトルコ語も話せない」と述べたことに疑問を感じた人たちは少なくなかったようだ。

「両親ともトルコから来たクルド人であれば、いずれかの言語が話せるはずである」というのである。

しかし、両親からその母語を受け継ぐのは、それほど簡単なことでもないらしい。例えば、在日韓国人二世の多くは、両親が韓国語を母語とする在日一世であっても韓国語が話せなくなっている。

韓国語は巧く話せないが、日本語なら普通に話せる二世の友人の父親と会話して、一世であるその方の日本語が明らかに訛っていたので驚かされたこともある。

私は自分の父親と語調やアクセントがそっくりだと良く言われた。そして、母と姉の話し方も驚くほど良く似ていたが、それは『親子なのだから当たり前だろう』と思っていた。私たち姉弟の話す日本語は親から受け継いだ「母語」だったのである。 

ところが、両親とも在日一世である友人の日本語は、親から受け継いだものではなかった。「母語」として韓国語を受け継ぐこともなかった。

親から当たり前に「母語」を受け継いだ私たちは、なかなか幸せな境遇だったのかもしれない。

以下の駄文に記したように、私がイスタンブールで借りていたアパートの部屋の家主さんはクルド人であり、奥さんとも多くの場合クルドで会話していたようだけれど、高校生だった長男はクルド語が殆ど話せなかったらしい。

家主さんは核家族であり、近所に祖父母もいなかったため、子供たちは周囲で話されているトルコ語を主に話すようになっていたのだろう。

イスタンブールには、クルド民族主義的な意識は全くないにも拘わらず(そもそも彼らは政権与党AKPの党員だった)、家族の面々が皆クルド語を話す友人もいたけれど、彼らのところは大家族だったようである。多分、子供たちは祖父母ともクルド語で話す機会を得られたのではないかと思う。

核家族で夫婦共稼ぎともなれば、子供たちが母語を受け継ぐのは一層難しくなるに違いない。難民申請したクルド人家族にもそういった状況があったのではないだろうか?

クルド人ジャーナリストのムフスィン・クズルカヤ氏は、ハベルテュルク紙のコラム記事の中で、保育園に通うようになった娘から「お父さんにトルコ語を教えて上げるね」と言われたエピソードを紹介している。

娘さんはクズルカヤ氏がトルコ語を知らないと思っていたらしい。どうやら、家の中では徹底してクルド語を使っていたようである。

そのぐらいじゃないと、母語を継承するのは難しいということかもしれないが、クズルカヤ氏は、「母語による教育」等を提唱している民族主義的なクルド人らを以下のように辛辣に批判している。

彼らの多くはクルド語を話さない。あるいは子供たちがクルド語を得られるように努めなかった。『国家が禁止したため私は教わらなかった。だから教えることも出来ない』と言って済まそうとする。そして、国家が教えるべきだという。それも、武器を手に要求しているのだ!

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