メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコにおけるクルド人の母語の問題

一昨日(6月3日)のハベルテュルク紙のコラムに、ムフスィン・クズルカヤ氏がとても興味深い記事を書いていた。

ムフスィン・クズルカヤ氏は、トルコ南東部のイラク国境に接するハッキャリ県出身(1966年生)のジャーナリスト。ハッキャリ県はディープ・クルディスタンとも言えるような地域で、かつては軍事衝突も多発していた。クズルカヤ氏もクルド語を母語とするクルド人だが、政府与党AKPの党員であり、ハベルテュルク紙もどちらかと言えば政府寄りの新聞である。

一昨日の記事でクズルカヤ氏は、オルチ・アルオバというトルコの思想家の訃報に触れて、アルオバ氏が2013年12月にミリエト紙へ寄稿した「母語に生じている誤った考えについて」という論考を取り上げている。

クズルカヤ氏も母語の問題については幾つもの記事を書いていたという。クズルカヤ氏によれば、クルド問題とは言語の問題に他ならなかったからだ。そして、アルオバ氏がミリエト紙へ寄稿した2013年頃に、クルド語への規制が少しずつ取り除かれて行くと、多くのクルド人たちが、「自身をようやくトルコの真の国民と意識し始めた」といった文を書き出したそうである。

アルオバ氏は、1歳半の孫の母語の問題について、米国に居住している子息から相談された際、「心配するな、近いうちに区別出来るようになって、家ではトルコ語、学校では米国語を話すようになる」と答えたことを論考の中で明らかにしていたそうだが、クズルカヤ氏にも同じような出来事があったという。

クズルカヤ氏は、生まれた娘と家でクルド語を話していたが、2歳になって保育所へ行くようになった娘は覚えて来たトルコ語をクズルカヤ氏に教えようとする。「お父さんにトルコ語を教えて上げるね。ナンはエキメッキ(パン)で、アヴはス(水)と言うんだよ・・・」。どうやら、娘さんはクズルカヤ氏がトルコ語を知らないと思っていたらしい・・・。

そして、娘も息子もクルド語と同時にトルコ語母語として身に着けて行ったという。

アルオバ氏は、こういった過程を「・・・母語として得られる」と表現したが、クズルカヤ氏によると、これは非常に意図的な表現である。つまり、「母語は、教えるものでも教えられるものでもなく、自然に、母乳のように得られる」というのだ。さらに、クズルカヤ氏は、「幼児を抱き上げて、『これからお前に私たちの言葉を教えよう』などと言う母親は何処にもいない。ただ、あやし言葉を歌って聴かせ、童話を語るだけだ」と述べ、しかし、母語が母乳と異なるのは、母語を教えるのは母親に限らない点だと言い添えている。子供は両親の民族性とは関係無しに周囲で話されている言葉を身に着ける・・・。

アルオバ氏は、トルコで母語に関して提起されている「母語を教わるための許可」であるとか、「母語を教える」「母語による教育」といった言説には意味がないと言い、クズルカヤ氏もこれを肯定しながら、「母語による教育」を提唱しているクルド人らを辛辣に批判している。

「彼らの多くはクルド語を話さない。あるいは子供たちがクルド語を得られるように努めなかった。『国家が禁止したため私は教わらなかった。だから教えることも出来ない』と言って済まそうとする。そして、国家が教えるべきだという。それも、武器を手に要求しているのだ!」

《6月3日付けハベルテュルク紙》