メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

沖縄とクルド

この「川崎の産廃屋」で沖縄の人たちと1年の間共に生活して得た見聞は忘れ難い。それまで3年にわたってトルコで暮らしながら、「クルド問題」などを部外者の視点から多少興味本位に見ていたけれど、日本にも「民族問題」が存在しているのではないかと切実に感じてしまった。

私を韓国人と勘違いして、「日本人というのは随分おかしな連中だな。おまえもそう思わないか」と語りかけてきたKさんは、沖縄から本土へ出て来ると、まず単車でカーフェリーに乗って北海道まで行ったそうだ。「アイヌの人を見たかった」と言うのである。

1991年当時、トルコ共和国外務大臣であり、クルド人だったヒクメット・チェティン氏は、「社会で差別が明らかになるのは婚姻と賃貸に際してだが、トルコの社会でクルド人はいずれの場合も問題とならない」と語っていた。しかし、日本の社会では、かつて沖縄の人たちへ部屋を貸したがらない家主が少なからずいたらしい。

そもそも、オスマン帝国の時代、クルド語を母語とする人々もスンニー派ムスリムであれば社会のマジョリティーであり、帝国を構成する有力な一要素であったという。明治になるまで薩摩藩清帝国に両属しながらも半ば独立を保っていたという沖縄の人たちは、「トルコのクルド人」と歴史的な成り立ちが異なっているように思える。

民族自決」の理屈からすれば、この沖縄の人たちこそ、明確に独立を要求できる立場であるかもしれない。ところが、これが現代の国際社会で余り議題に上がらないのは何故だろう?

というより、何故、クルドの問題ばかりが提起され続けて来たのか少し考えてみても良いのではないかと思う。