メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラムの葬儀は望まない!

トルコで非常にイスラム的な新聞として知られているイエニ・アキット紙に、今日(9月18日)、以下のような記事が出ていた。

イスラムの価値に敵対しながら一生を終えた人たちも、モスクでイマームの祈祷により弔われることが論議を呼んでいるトルコで、ジュムフリエト紙のミネ・クルクカナット氏から手本になるような発言があった。YouTube動画でクルクカナット氏は、敵対してきたイスラムによる葬儀を望まないと遺言した。『私の葬儀にはイマームアラビア語も望まない』とクルクカナット氏は述べたのである。」

アキット紙は、これを「勇気ある手本」と半ば称賛するかのように伝えているけれど、私はこの記事を読んで、30~35年ぐらい前、母が放った一言を思い出した。

何故、そういう話になったのか解らないが、クリスチャンである叔父さんの葬儀(叔父さんは今もお元気ですが・・)が話題になると、母は「面倒だから、うちの寺で弔って墓に入れれば良い」と言い、姉が「叔父さん、クリスチャンだよ」と異議を唱えたら、「死んじまったら、何の葬儀でも解るもんかい!」と言い放って、一同爆笑だった。

母は生前、認知症で自分の葬儀について何か言うこともなく逝ってしまったが、おそらく明確な意思があったところで、葬儀については何の希望も述べなかっただろう。

多分、何か言ったとしても、「せいぜい金が掛からんようにしてくれ」ぐらいのところじゃなかったかと思う。

倅の私も、そんな感じで、「死んじまった後のこと考えてもしょうがない」と思っている。

20余年前、クズルック村の工場で働いていた頃は、トルコ人の同僚から「火葬が良いのか?」と、多少揶揄うような調子で訊かれたりしたため、「そうだな、あの山の上でガソリンかけて燃やしてくれ」などと冗談で返して笑いを取ったりした。

しかし、クルクカナット氏も遺言の中で「火葬場があれば火葬してもらいたい」と語っていたそうだけれど、トルコには、現在、火葬場は一つもないらしい。オスマン帝国の時代には、イスタンブールに1~2カ所あったが、その後取り壊されてしまったという。

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