2003年、私はトルコ人の友人と共に東京ジャーミー(モスク)を訪れたことがあった。
東京ジャーミー(モスク)は、2000年に再建されて以来、トルコ共和国の宗務庁が管理し、イマーム(イスラム教導師)も宗務庁から派遣されている。
トルコ人の友人は、そのイマームに折り入って頼みがあると話していた。
ジャーミーでイマームの部屋に通されると、友人は以下のような要望をイマームに伝えたのである。
「トルコ人の友人が日本人の奥さんとの間に男の子を儲けた後に他界してしまい、男の子は日本でお母さんに育てられているものの、何らイスラム教徒としての教育が与えられていないばかりか、このままでは年頃になったのに割礼も施されないようだから、何とかしてもらいたい」
イマームは静かに友人の話を聞いた後で、まず、その男の子が今後も日本で生活して行くことを確認してから、次のように答えた。
「その子は日本人として育つことになるんですね。それを私たちが無理してムスリムにさせることが、その子の幸せになりますか? 良くお考えになって下さい。私たちは遠くからその子の成長を見守ってあげれば良いのではないでしょうか?」。
穏やかに友人の理解を求めるような口調だった。
私はその誠実で日本の常識に配慮した対応に感動したけれど、トルコで何人かのイスラム神学者にこの話を伝えて見解を求めると、いずれも「それが当たり前な対応です。そのイマームは職責を果たしています」といったように答えていた。
どうやら、それは特に驚かれるような対応でもなく、トルコのイスラムにおいては、常識の範囲内だったようである。
トルコで視聴した「イスラムと女性」というテレビ討論番組では、女性のイスラム学者が次のように主張していた。
コーランは、当時のアラブ社会が対応可能な範囲で、社会的な弱者(女性を含む)の権利を守ろうとしている。だから、現代の社会に適応すれば、女性の権利はもっと高まる・・・。
つまり、アッラー(神)は、当時のアラブ社会が対応可能な範囲で啓示を下されたというのである。
まさか、「ムハンマドは当時のアラブ社会の常識以外に知るところがなかった」とは言えないから、このように論じたのだろう。
そもそも、ムハンマドは、当時のアラブ社会を一つにまとめ上げ、国家として組織した類まれな統治者でもあったのだから、非常に現実的で常識を弁えた人物ではなかったかと思う。
そのため、ムハンマドが現在の世界に蘇ったならば、「現在の常識」に合わせて教えを説こうとするのではないだろうか。日本を訪れたら、やはり日本の常識に配慮してくれるのかもしれない。
私がトルコで知り合った敬虔なイスラム教徒やイスラム学者を思い浮かべると、その多くは社会的に常識人と言えるような人たちである。
名門のアンカラ大学でイスラム神学を修めた友人は、日本語の読み書きがこなせるほど親日的なトルコ人だったが、ある時、立派な顎鬚を蓄えた日本人イスラム神学者の写真を見せたら、「これは尋常じゃない」と言って顔を顰めた。
おそらく、「日本の社会的な常識に合っていない」ということなのだろうけれど、私はその反応に少なからず驚かされた。
しかし、こういった「社会的な常識に合わせる」という態度は、トルコのイスラムで共通の理解となっているのかもしれない。
この「イスラム・スンニー派の盟主?」という駄文で紹介した宗務庁の前長官メフメット・ギョルメズ氏の見解も、現在の世界に共通する常識からみて、まったく不都合なところは感じられない。
そして、私には、これがイスラム本来の姿であるように思えるのだが、どうだろうか?