このYouTube動画で、ディヤルバクル出身のアルタン・タン氏は、ディヤルバクルの民族的な多様性を論じている。
トルコ南東部の主要都市ディヤルバクルは、「クルディスタンの首都」などと呼ばれたりして、「クルド人の街」という印象が強い。周辺の農村地域も含めた「ディヤルバクル県」も同様である。
しかし、タン氏は、こういった決めつけ方には間違いがあるとして、自身が生まれ育ったディヤルバクルの多様性について語っている。
3期にわたってディヤルバクル選出の国会議員を務めたタン氏は、1958年にディヤルバクルで生まれ、ディヤルバクルの高校を卒業した後、アンカラの大学へ進んだという。父方はクルド人だが、母方はトルコ人であることも明らかにしている。
タン氏がディヤルバクルの多様性を語る上で、まず始めに取り上げているのは、トルコ民族主義の創始者の1人と言われるズィヤ・ギョカルプ(1876年~1924年)である。
ギョカルプは、アタテュルクが「感性の父はナムク・ケマル、思想の父はズィヤ・ギョカルプ」と述べたほどの人物だから、当然、まず始めに取り上げなければならないとしている。
ギョカルプの母方は、ピリンチザーデ家というオスマン帝国以来のディヤルバクル有数の名門クルド一族であり、クルドのルーツは疑う余地もないという。ピリンチザーデ家はトルコ共和国以降も多くの大臣等を輩出している。父方も教養のある一族だったが、クルド系だったかどうかは、はっきりしていないらしい。
父方のルーツはディヤルバクル県のチェルミク地方であるため、クルド系のザザ人だったとされているが、出身地のアロス村はチェルミク地方でも非常に特殊な例で、その住民は歴史的にトルコ語を話して来た。タン氏は、これを現地に何度も足を運んで確認したそうだ。タン氏によれば、300年~500年にわたって、アロス村の言葉はトルコ語だったらしい。
そのため、ルーツもトルコ系だったとは言い切れないが、少なくとも1000年遡ったところで、クルド人だったことは証明できないというのである。
私も、このブログで何度か「トルコ民族主義の創始者ズィヤ・ギョカルプはクルド人だった」という話を紹介してきたけれど、これは訂正しなければならない。
ディヤルバクルには、オスマン帝国の時代から主にトルコ語を話す人たちも少なくなかったらしい。もとはアラブ系だったが、次第にトルコ化した一族もいたという。決して、トルコ共和国になってから国家の圧力によってトルコ化したわけではないそうである。
一方、ディヤルバクル生まれの著名な詩人アフメッド・アリフ(1923年~1991年)については、父方がトルコ系のトゥルクメン人、母方は北イラクのアルビール出身のクルド人だが、アフメッド・アリフ自身は「クルド人であり、トルコ人であり、アラブ人だった」としている。この全ての言語、文化を知って、いにしえのメソポタミアの文化を伝えることに長けた達人だったと言うのである。
私は、これを聞いて、93年か94年に南東部のウルファを訪れた際に出会った青年を思い出した。青年は、私が「貴方はクルド人ですか?」と問うたのに対して、「私は、クルド語、トルコ語、アラビア語を全て同じレベルで話すことができるムスリムです」と答えている。
タン氏も、クルド語、トルコ語、アラビア語を話すそうだが、アフメッド・アリフばかりでなく、おそらく、ズィヤ・ギョカルプのようなディヤルバクルの知識人らは、大概、この3言語を話せたのではないか?
タン氏は、ディヤルバクルの多様性を語りながら、ムグルドゥチ・マルゴスヤン(1938年~2022年)というアルメニア人の作家にも言及している。こちらはアルメニア語も話しただろう。
かつては、アルメニア人のようなキリスト教徒もディヤルバクルには少なくなかったようである。タン氏は、その一例としてジョシュクン・サバーという歌手の名を上げている。
ジョシュクン・サバー氏は、ディヤルバクル出身のスリヤーニ(シリア正教徒)であるという。
私は、初めてトルコで暮らした91年~94年の間に、テレビの歌謡番組でサバー氏が歌っているのを頻繁に見ていた。当時もサバー氏がキリスト教徒であることは知っていたけれど、ディヤルバクル出身のスリヤーニといった詳細までは分かっていなかった。
その後は、歌謡番組などを見なくなった所為か、サバー氏の存在自体を忘れていた。久しぶりに、その名を聞いて、『サバー氏は未だ存命だろうか?』と思いながら、検索してみると、存命どころか今でもトルコ歌謡界の第一線で活躍しているようだ。
以下のYouTube動画でその姿を見ることができる。72歳という年齢の割には、とても若々しい。日本の芸能界では珍しくないかもしれないが、トルコでは「驚異的な若さ」として評判になっているらしい。