2013年の3月、トルコの刑務所に収監されているPKK(クルディスタン労働者党)の領袖オジャラン氏のメッセージが、トルコ南東部の主要都市ディヤルバクルでネヴルーズ祭を祝う群衆へ、クルド語とトルコ語により伝えられた。
メッセージは、PKKに武装解除を呼びかけ、クルド人とトルコ人の団結を謳いあげる劇的な内容だった。
2002年に発足したエルドアン氏のAKP政権は、クルド問題の解決に取り組み、国営放送にクルド語のチャンネルを開設し、クルド語を教える学校へ認可を与えるなど様々な改革を進めていた。経済も順調で、2ケ月後の5月には、IMFの債務も完済している。
その結果として、PKKの武装解除が行われ、トルコに平和が訪れるのだと確信した私は、思わず目頭を熱くしていた。
ところが、6月にイスタンブールで「ゲズィ公園騒動」が勃発すると、トルコはまたしても不穏な空気に包まれてしまう。
2015年、PKKは再び武力闘争に転じたが、それは一般のクルド人民衆をも巻き込む、さらに過激な段階へ至り、平和の夢は瞬く間に終わりを告げた。
1993~4年、PKKが隆盛を極め、トルコ南東部の各県に非常事態宣言が出ていた頃、私は同地域を旅して回ったことがある。
途中、シリアとの国境に近いヌサイピン~ジズレでは、半日、軍の諜報員を名乗る男と同行する羽目に陥ったりしたものの、特に危険を感じたりはしなかった。ジズレのホテルの前にあったビアガーデンで、「諜報員」と仲良くビールを飲んだくらいである。
しかし、ビアガーデンが何処にあるのか教えてくれた地元の子は、「サイレンが鳴ったら、直ぐにホテルへ逃げ込んで下さい」と私たちに注意した。
私は、ゲリラが町の中まで侵入して来るのかと思って、そう訊いてみたが、その子の心配は全く別のところにあった。
「ゲリラなんて一つも恐くないけれど、サイレンが鳴っても外にいたら、憲兵隊に撃ち殺されちゃいますよ」と言うのである。(反政府ゲリラに対しては、「ミリタンラル“戦闘者?”」という言葉を使っていたと思う)
どうやら、当時、地元のクルド人民衆はPKKよりもトルコ国家の憲兵隊を恐れていたらしい。
1980年代に闘争活動を始めたPKKは、マルクス・レーニン主義を掲げ、クルド人の大地主などをターゲットにしたため、民衆からは好意的に迎えられたという。オジャラン氏が今でも多くの民衆に慕われているのは、こんなところに起因しているようだ。80年代、PKKの最大の支援者はソビエトだったとも言われている。
PKKが変質して行くのは、1999年、オジャラン氏がCIAによって身柄を拘束され、トルコへ引き渡された以降であるかもしれない。
2015年に一段と激しい武力闘争を再開させたPKKの最大の支援者は、既に米国になっていたのではないか。米国は武器弾薬を供与するばかりでなく、軍事教練なども施していたという。
かつての指導者オジャラン氏をトルコへ引き渡した米国から公然と支援を受けていたPKKの現幹部らは、いったいどのように変節してしまったのか?
1999年~2003年、トルコ西部アダパザル県の邦人企業で働いていた頃、近所に高圧電線の敷設技術を持った男がいて、彼は当時まだ非常事態地域となっていたディヤルバクル周辺にも出張していたそうだ。
「作業中は憲兵隊などが警護してくれるのか?」と訊いたら、次のように答えていた。
「何を言うんだ。憲兵隊なんて連れて行ったら、それこそ標的にされてしまう。普通に作業していれば、奴らは俺たちに手を出したりしないよ」。
当時のPKKは、未だ民衆の側に立って戦う姿勢を見せていたのかもしれない。
それが、2015年以降は、南東部でクルド民族主義政党HDPが抑えている地方行政府に「自治区」を宣言させ、周囲に塹壕を掘ったり、バリケードで囲ったりして「独立」を図り、通信網なども遮断したため、生活の不便を強いられた民衆はPKKに対して反意を強めるようになったという。
そして、2025年の5月12日、ついにPKKは自ら解散を宣言するに至った。
しかし、2013年、オジャラン氏の呼びかけを拒否して、武装解除に応じなかったPKKは、何故、今になって解散を宣言したのだろう?
「クルド人の権利が認められた」などと言うけれど、クルド和平プロセスは、2015年にエルドアン大統領が「凍結」を決めて以来、何の進展も見せていない。「クルド人の権利」等々は2013年のままだと言っても良い。
結局は、米国がトランプ政権に移行して、PKKへの支援を打ち切る公算が強くなったためではないだろうか。米国等の支援がなければ、戦闘の継続は不可能だからである。
クルド民族主義政党HDP及びDEMにも、PKKの武力闘争をあからさまに支持していた党員は少なくなかったが、彼らの多くもPKKの解散宣言と共に態度を一変させた。
これについて、元BDP(現HDP)の議員だったアルタン・タン氏が非常に興味深い見解を明らかにしている。(末尾のYouTube動画)
66歳のアルタン・タン氏は、南東部バットマン県出身のクルド人で、非常にイスラム的な人物として知られている。
かつては、イスラム主義者のエルバカン氏が率いた福祉党(RP)でエルドアン氏と共に活動していた時期もあり、左翼的な人物の多いBDPでは異色の存在だった。
2013年、刑務所のオジャラン氏が自身を訪問する使節にタン氏を選んだのは、エルドアン氏との親しい関係に期待したためではなかったかと言われている。
タン氏は、2013年の段階で和平を強く望んだため、その後、PKK支持者から誹謗中傷にさらされたが、今は彼らもエルドアン大統領の和平プロセスを支持している。
タン氏によると、政治は結果で見るものだから、過去の過ちに反省が見られなくても、現在、和平プロセスを支持しているのであれば、政治的には正しい。道徳的には正しくないが、それを裁くのは神である。信仰のある者はそれを信じる。つまり、過去に拘泥することなく、現時点から前に進もうとタン氏は言うのである。
信仰のこういう作用は、私も素晴らしいと思う。おそらく、信仰に篤いエルドアン大統領も、タン氏と同様に考えているのではないだろうか。