メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

経済的な価値と社会的なステータス/アフガニスタンの女性問題

私は30歳になってからトルコ語を学び始め、都合20年以上トルコで暮らした末、4年前に素寒貧の状態で日本へ帰って来た。トルコ語を学んだことで手にした経済的な価値であるとか社会的なステータスなど、もちろん何処にもない。

それでも私は、トルコで様々な人たちと出会い、色々な知識を得られたことに満足している。

しかし、多くの人たちからすれば、こんな計画性の無い人生は実に無謀であり、アルコールのリスクを考えもせずに飲み過ぎてしまう馬鹿さ加減と何ら変わらないだろう。

トルコに居た頃も、トルコの人たちに「君がトルコ語を学んで得たものは何なの?」と良く訊かれた。

何処の国でも、人々は経済的な価値や社会的なステータスを求めて人生設計を考えているのではないかと思う。そこには、国境も無ければ、宗教や文化の違いもない。

トルコで私のトルコ語学習を不思議がっていた友人たちの中には、イスラムの信仰に篤い人もいれば、殆ど無信仰の政教分離主義者もいたのである。

例えば、トルコでは、大学のイスラム神学部へ進学する男子学生が年々減少して、今や多くのイスラム神学部が女子学生に占拠されているという。

現状、女性がイスラム神学部を卒業してもイマームイスラム教導師)にはなれないので、その大部分は早々に結婚して主婦になるか、さもなければ大学に残って研究者の道を歩むよりない。そもそも、女子学生が神学部を選ぶのは『身持ちの良い女性と思われるから結婚に有利』という発想があるためらしい。

もっとも、将来、神学部の教授や宗務庁の幹部にも女性が台頭する時代になれば、イスラムの解釈も変わって、女性のイマームが認められるようになるかもしれない。その時には、夫がエンジニアで妻はイマームなんていう夫婦がトルコに出現するのだろうか?

一方、男子学生たちの多くは、経済的な価値や社会的なステータスを求めて、法学部や医学部、経済学部や理工学部等々へ進学する。その選択には、トルコも日本も殆ど変わりがないはずである。

しかし、ここでアフガニスタンの現状を考えて見ると何だかぞっとしてしまう。今でもモジャモジャと髭を蓄えた男たちが大挙してイスラム神学を学んでいるそうだ。

まず、産業も何もないから経済的な価値が得られる分野も限られていて、それに伴う社会的なステータスなどもない。あるのは、タリバンに寄り添って得られる宗教的なステータスだけなのかもしれない。あの国はいったいこれからどうなってしまうのだろう?

サバー紙のハサン・バスリ・ヤルチュン氏が、9月6日のコラムでアフガニスタンの今後について書いていた。

ヤルチュン氏によれば、アフガニスタンで女性問題等が解決される見込みもないが、この問題は国際世論でそれほど注目されなくなる。何故なら、米国がアフガニスタンに介入するつもりがないからだそうである。つまり、介入するための世論作りをする必要がなくなったということらしい。

実際、アフガニスタンのニュースは、忘れ去られたかのように少なくなっている。取り上げたところで、経済的な価値もステータスも生み出さないアフガニスタンのニュースなど、もうどうでも良いということなのか?

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