メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

「お先真っ暗でも、振り返って見る昔の日々は、いつも薔薇色」?

いつだったか、トルコのジャーナリストが自分のコラムに、「ネットで見つけた記事に、~~と素晴らしい見解が述べられているので、感心しながら筆者の名を見たら自分だった」というような話を書いていた。
『よく言うよ、自分の記事なら読み始めて直ぐ気がつくだろうに・・』と呆れてしまった私は、7~8年前まで、自分が本欄やミクシー日記等に書いた記事は、全て覚えているつもりだった。
ところが、2013年以降は書く量も増え、特に昨年の7月辺りからは、ほぼ毎日アホみたいに何か書いているため、これが何だか怪しくなって来た。2013年以前の記事などは、ぼろぼろと記憶の肥溜から零れ落ち始めているような気もする。
長年に亘って、方々に記事を書き続けて来たジャーナリストの方なら、自分の記事を読んで気が付かなかったとしても不思議ではないのかもしれない。
さて、昨年の9月11日の本欄に、「政教分離主義にもとづく道徳?」という駄文を書いた時も、8年ぐらい前と思われる出来事のおぼろげな記憶を辿りながら、ミクシーで、この出来事に言及していたとは夢にも思っていなかった。
そう思っていたら、記憶を確かめる為に、ミクシーの記事を探していただろう。昨日、韓国留学時の思い出について書いた時は、『あの話、ミクシーには書いていたな』と思ったから探してみた。

そしたら、その思い出話と共に、「政教分離主義にもとづく道徳?」に纏わる記事も見つかったので驚いた。日付は2008年11月2日であり、見聞した翌日に書いていたらしい。
時系列が直ぐバラバラになる私としては珍しく、「8年ぐらい前」と結構正確に推測している。「何か出版記念のような集まりだった」というのも、それほど外していない。
実際は、イスタンブール・ブックフェアの前夜祭で、版権エージェントの社長さんが招待してくれたのだった。
そのミクシー日記の記述を読むと、なんだか、私は、そこで雑談を交わした女性ジャーナリストが、ミネ・クルクカナット氏であると前以て知っていたかのようだけれど、これは記述の仕方が悪い。私は誰だが知らずに近づいて、その会話に耳を傾けていたのではないかと思う。
一方、ミネ・クルクカナット氏が、私を日本のジャーナリストだと勘違いして話しかけて来たというのは、全くの記憶違いで、おそらく版権エージェントの社長さんが、「日本の翻訳家」とか何とか大袈裟に紹介してくれたのだろう。
また、ミネ・クルクカナット氏が、「トルコでコーランに対する批判的な検証が可能になるまでは、民主主義を停止させるべきだ」と力説していたというのも、どうやら後付けの記憶だった。
実際は、「少なくともイスラムの世界が~~以降のヨーロッパのキリスト教世界のレベルにならなければ民主主義など不可能」と述べていたのであり、「~~」の部分には「自由神学」あるいは「聖書批判」といった言葉が入るはずだが、その場で私は聴き取れていなかったらしい。
とはいえ、おそらく発言の要旨は間違っていないと思う。ミネ・クルクカナット氏は、現在もトルコがそのレベルには達していないと見做しているのか、AKP政権とエルドアン大統領に強く反対しているようだ。
しかし、従兄弟に当たるという元外交官のヴォルカン・ボズクル氏は、2011年の選挙でAKP政権の議員になり、2014年8月~2016年5月までEU担当相を務めている。
多くの識者が、トルコは既にそのレベルに達していると認識しているのではないだろうか? 
7月15日のクーデター事件から10日後、時事討論番組に出演したアデム・ソズエルという法律学者は、「トルコには、コーランを科学的に検証できる研究機関が何処にもない。これを是非作ってもらいたい」と提案していたが、これも『充分に可能である』という認識に基づく発言だったに違いない。
ところで、ブックフェアの前夜祭の記憶だけれど、どういうわけか、版権エージェントの社長(女性)に関わる部分だけ、すっぽりと抜け落ちている。
彼女は、財政的に厳しいトルコの出版業界で、現実を直視しながら、トルコの文学・芸術に多大な貢献を果たしていたはずなのに、私は「文学商人」などと勝手な綽名をつけて揶揄していた。
元来、私には、楽しい思い出ばかり記憶に留めて、嫌なことはさっさと忘れてしまう傾向がある。そのため、他人を恨んだり羨んだりしないのは結構だが、どうも『なにくそ』という根性に欠けてしまう。
お陰で、「嫌なことは覚えていないから、お先真っ暗でも、振り返って見る昔の日々は、いつも薔薇色」なんて脳天気な冗談言いながら、軽薄な人生を過ごさせてもらってきたけれど、この「お幸せ」はいったいいつまで持つのだろう?

merhaba-ajansi.hatenablog.com