メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ大地震/流言飛語/生存者の救出

トルコ大地震後の錯綜した情報の中には、後に虚構であることが明らかになったデマも多かったらしい。

「ハタイでダムが決壊した」とか「ハタイの空港が使えなくなっている」、「軍が救援活動に参加していない」等々は間もなく事実ではないことが判明したそうである。

特に「ダム決壊」は、それで救援活動が一時ストップしたため問題視されているという。

また、野党勢力の有力な大統領候補クルチダルオール氏がそういったデマをそのまま使って政府攻撃の材料にしたと政権側メディアは激しく非難している。天災を近づく選挙のために政治利用しているというのである。

もちろん、野党勢力側も「大統領が被災地を訪れ、被災者を慰撫している様子をテレビが仰々しく伝えているのは政治利用に他ならない」というように様々な例を上げて政権側を非難している。

しかし、政権側が何とか将来へ希望を見出そうと努めているのに対して、野党勢力側の言動は少し絶望的過ぎるかもしれない。

これをトルコの人々がどう捉えているのかは、選挙の結果が明らかにするだろう。

昨日も、被災後296時間を経て生存者が救出されたという。

これに一縷の希望を見出そうとしている被災者は、あまりネガティブな情報に耳を貸さないのではないかと思う。

以前に救出された男児が「外は寒い」と語ったように、瓦礫の下が外より暖かいことが生存を可能していると報じられていたけれど、296時間を耐え抜いたのは、健康な強い体と精神力の賜物であったに違いない。

病気で寝込んでいたりしたら、とても持ち堪えられなかっただろう。

この駄文に、1999年のトルコ北西部大地震の際、クズルック村の工場の出向者の多くは日本へ一時帰国していて無事だったと記したが、帰国せずに激震地のアダパザル市内でその時を迎えた出向者もいた。

家族でエーゲ海地方へ旅行に行くつもりで帰国しなかったものの、風邪で寝込んでしまい、アダパザル市内にある高層アパート(マンション)の自宅で静養していたそうだ。

深夜の3時に激しい揺れで目を覚まし、窓から外の様子を窺ったところ、日本の某自動車会社の出向者らが居住している隣の高層アパートは土埃で見えなくなっていた。暫くして土埃が収まると、そこにアパートの姿はなかったという。ぺしゃんこに崩壊していたのである。(幸い、その会社も夏休みで出向者らは皆無事だった。)

これに衝撃を感じなかったはずはないけれど、風邪で余りにも具合が悪かったため、また布団に潜り込んで寝ようとしたそうである。そこを奥さんに揺り起こされ、仕方なく屋外へ避難する。

崩壊した隣のアパートと異なり、殆ど被害を受けていないように見えたが、1階の駐車場前の地面はえぐれていて、車を出すのに一苦労したという。体の具合が悪かったので、かなりきつかったらしい。

アパートのトルコ人居住者らも皆避難していて、共にアパート前の空き地で夜を明かすことになる。

もう一方の隣のアパートも殆ど崩壊の状態だったそうだけれど、明るくなってから半地下の部屋に住んでいた管理人の家族が瓦礫の下から這い出て来た。避難していた居住者らは皆拍手で彼らを出迎えたという。

この顛末が日本で報じられることはなかったが、その出向者はとても表現力の豊かな人だったから、取材を受けていれば、臨場感にあふれるルポになっていただろう。