メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ大地震/脆弱な建物の倒壊/治安の悪化

トルコの大地震、激しい揺れが広範囲にわたって何度も繰り返された天災の恐ろしさもさることながら、倒壊して瓦礫の山と化してしまった数多の建物の惨状にも驚かされた。こちらには「人災」の要素も少なくなかったと言われている。

しかし、「人災」に関しては、「2000年以降に建てられた高層ビルの多くが倒壊した」「いや、倒壊したのは殆ど2000年以前のものである」等々、情報がかなり錯綜している。実態はどうなっているのだろう?

私は以下の駄文でもお伝えしたように、1999年8月の「トルコ北西部大地震」が発生した数日後、壊滅的な被害を受けたアダパザル市内に入ったが、ほぼ同時期に施工されたと思われる数棟の中で、完全に崩壊したビルと原型を保っているビルが隣り合わせになっている光景を見た。

街区による差異も激しかった。殆どの建物が倒壊してしまった区域もあれば、何事もなかったかのように見える区域もあった。あれは建物の新旧と言うより、地盤の強弱が影響していたそうである。確かに、新市街・旧市街といった区分けではなく、双方に新旧のビルが混在していたのではなかったかと思う。

当時(1999年)、建物の新旧は、もちろん「2000年以前・以降」で論じられていない。80年代以降に建てられたビルの脆弱さが取り沙汰されていた。

トルコは80年代以降、オザル首相~大統領の改革開放政策で力を得た民間資本による経済成長が著しく、産業化とそれに伴う都市化も急速に進んだ。その中で、利益を重視した民間の業者が粗悪なビルを乱立させたというのである。

それまでは、主に国家の公共政策として都市の整備が行われていたため、進展は遅くても、建築物等は堅固に造られていたそうだ。

現在でも、政府が推し進めている「TOKİ(集合住宅管理庁)」の高層ビルは堅固に出来ていて、その多くが倒壊しなかったと言われている。

1992年頃だったか、トルコのテレビ番組で「建物の強度をテストする」という企画があり、コンクリートによる成型までは終わっている新築の3~4階建てビルの1階バルコニーにドラム缶を4~5個並べて、その中にホースで水を注入して行ったところ、3~4個目でバルコニーは崩落してしまった。

あれは、まさしく粗製乱造ビルの代表例と言えただろう。私はその光景に思わずぞっとした。

当時、ギリシャに在住していた日本人から聞いた話だが、ギリシャでも、「生コンクリートを圧送ポンプで型枠へ注入して行く際、注入速度が遅くなると水を混ぜて速めていた」なんて、とんでもないことが行われていたらしい。水増しされたコンクリートが脆くなるのは当然である。

しかし、「トルコやギリシャは恐ろしい。日本では絶対に有り得ないことだ」と言い切れるのかどうか解らない。

私は、バブル景気で建築ラッシュが続いていた1983~6年頃の日本で産廃屋のダンプをやっていた。

ある日、4tダンプで、まだ地下部分が出来上がったばかりのマンション建設現場へ廃棄物を積みに行ったら、その段階では出るはずもないコンクリートガラが山となっていたので驚いた。

コンクリートガラとは、コンクリートを破砕した廃棄物で、解体現場からは大量に出るが、新築のビルでは完成間近に少し出るくらいである。

それで土方の親方に「これ何処から出て来たの?」と訊くと、親方は「他所で喋るなよ」と言いながら教えてくれた。

地下部分を覆うコンクリート壁が崩落してしまったという。型枠を外すのが早かったのか、コンクリート自体の強度に問題があったのか・・・? いずれにしても背筋が冷たくなる話だ。

その建物は、某大手不動産会社による低価格のマンションであり、当時、都内の至る所で建設が進められていたけれど、他の建設現場に比べて進捗がやたらに速いという印象があった。多少、粗製乱造の傾向はあったのかもしれない。

今回のトルコ大地震では、被災地での略奪行為も話題になっているが、これも「平時にも見られる程度の盗難事件が起こったに過ぎない」から「大規模な略奪が行われた」まで様々な風説が飛び交っていて、その実態はどのぐらいのものであるのか明らかになっていない。

そういった「治安の悪化」は、1999年の地震でも取り沙汰されていたけれど、私が現地で見た限りでは全く感じられなかった。

もっとも、私は、被害を受けたビルに居住していた出向者の荷物を取りに行ったりしただけで、方々を調査して歩いたわけじゃないから何とも言えないだろう。

日本にも「火事場泥棒」なんて言葉があるくらいで、被災地をターゲットにした犯罪は昔からあったらしい。以下のウイキペディアの記述によれば、東日本大震災でも銀行のATMを狙った犯行が見られたそうである。

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