メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのトルコ人差別

この「民族と国家」を私は95年か98年頃に読んだのではないかと思う。

これを読んで得られた予備知識がなければ、その後トルコで見聞した様々な事柄の意味が良く理解できなかったに違いない。

例えば、「オスマン帝国の時代、トルコ人(Türk)とはアナトリア遊牧民や農民を指す言葉であり、帝国のエリートは自身をオスマン人と認識していたため、赴任先のヨーロッパでトルコ人と言われた外交官が衝撃を受けた」といった話が取り上げられていたけれど、2000年代のトルコ共和国でも、「トルコ人」を多少軽蔑するような感情が一部のトルコ人にはあったらしい。

99年~03年にかけて、私はアダパザル県のクズルック村にある邦人企業の工場で働いていた。

そこでグルジア系のトルコ人から聞いたところによると、その辺りには「エシェックチ(eşekçi)」と呼ばれるトルコ人がいたそうだ。エシェック(eşek)は「ロバ」の意で、エシェックチ(ロバを使って荷物等を運んだりする人)には明らかに侮蔑的な響きが感じられる。

グルジア語も解るというグルジア系の彼は、エシェックチについて、「・・・この辺じゃ昔から彼らのことをエシェックチと呼んでいるんです。彼らは元々この地域に住んでいて、我々のようなトルコ人とはちょっと違います。なんでも『本当のトルコ人(hakiki Türk)』とか言っているトルコ人です」と説明していた。

「我々のようなトルコ人」に関しては、以下のような説明があった。

「トルコには色々な民族がいます。我々はグルジア人だし、この辺だけでも、ラズ人、アブハズ人、クルド人等々、本当に様々です。でも、全てムスリムで、皆トルコ人。民族の間で差別なんてありませんよ」

おそらく、「民族と国家」を読んでいなかったら、こういう話を聞いても何のことやら解らなかっただろう。

2002年、AKP政権が成立して国会議長に選ばれたビュレント・アルンチ氏のルーツはアナトリア遊牧民であると報道されたら、クズルック村工場のトルコ人同僚は、「それじゃあ正真正銘のトルコ人だ」と蔑むように笑っていた。

アルンチ氏はちょっと色黒でモンゴロイドというよりインド辺りの人を思わせる風貌だが、同僚のエンジニアは、とても色白だった。

彼は、観光地として有名なサフランボル近くの村の出身で、バルカン半島から移住してきたという村の住人たちも皆色白であるらしい。

どうやら、ルーツがモンゴロイドであるよりは、コーカソイドの白人である方が誇らしい気分になれたようである。

しかし、金髪碧眼の白人であるがために、自身の民族性に複雑な感情を懐く人たちもいるのではないかと思う。

イスタンブールで、乗ったタクシーの運転手が金髪碧眼で背も高く、「北欧人」と言っても通りそうな風貌だったので、ルーツを尋ねてみると「ユーゴスラビア」という答えが返って来た。

ユーゴスラビアであれば、ルーツはボスニア人だったということだろう。それで、「ボスニア人ですね」と確認してみたら、彼は実に興味深い反応を見せた。

「違う! トルコ人だ! 一滴の血も混じっていない純粋なトルコ人だ!」と、もの凄い勢いで主張したのである。

実際のところ、彼には中央アジアの血など一滴も入っていないように見えた。仮に、彼がトルコ民族主義的な思想にかぶれていたのであれば、それは結構悩ましい問題となっていたかもしれない。