邦人企業のアダパザル県クズルック村の工場で働いていた頃だから、やはり20年ぐらい前じゃないかと思う。
イスタンブールで日本語に堪能なドイツ人の青年と話す機会があった。発音はあまり良くなかったが、難しい言葉も使いこなして教養を感じさせる日本語だった。
青年が語ったところによると、当時、ドイツで工事現場の作業員といった3K職に従事していたのは、その殆どがトルコ人などの移民だったらしい。
「それでは、学の無いドイツの若者たちは何をしているんですか?」と訊いたら、「失業者として生活保護を受けているんですよ」と言い、「あの社会は、もう持たないでしょう」と笑っていた。
しかし、あれから20年、ドイツの社会は立派に持ち堪えているどころか、経済的には日本より遥かに良い状況であるという。青年の話には、多少誇張があったのだろうか?
生活保護で暮らしている若者がどのくらいいたのか解らないが、ドイツに限らず西欧各国で3K職を担っているのは移民ばかりだという話は至る所で読んだり聞いたりした。
日本には、3K職を全て押し付けられるほど「移民」が存在しているわけじゃない。
「汚れ仕事を在日等々に委ねて来た」なんて申し上げたけれど、40年前、私が川越の産廃屋で働き始めた頃は、経営者の殆どが在日朝鮮・韓国人だっただけで、実際に汚れながら働いていたのは我々日本人作業員だった。
在日朝鮮・韓国人は高々60万人ぐらいで、もちろん日本の3K職を全て請け負えるほどの人口ではないだろう。
また、日本と朝鮮・韓国は文化的にも近く、それほどの格差があったとは思えない。
山本七平の著作によると、洪思翊中将は、日本と朝鮮の関係を英国とアイルランドの関係に擬えていたという。
例えば、フランスとアルジェリアでは、文化も大きく異なれば経済的な格差も甚だしく、アルジェリアから渡って来た移民との間には宗教的な対立も生じていたようである。
ドイツには、トルコや東欧からの移民が多いらしい。そのため、幾分、状況は良いのかもしれない。
フランスの事態に関するトルコの報道を見ていると、移民たちがフランス人に対して抱いて来た憎悪の激しさが強調されたりしている。
日本では、まだ「移民」の人口が僅かだからかもしれないが、宗教的な対立や激しい憎悪といったものが生じる気配はないように思える。
少なくとも、福岡でネパール人やパキスタン人、ベトナム人の就学生と一緒に働いていた時は、対立や憎悪など有り得ないと感じていた。
彼らは日本語学校で、言葉だけでなく、日本の社会への適応も学んでいたに違いない。これは非常に重要なことじゃないだろうか?
今後も若い労働人口の不足を移民で補わなければならないのであれば、就学生制度を改良してさらに充実させるのが最善の施策ではないかと思う。
しかし、就学生として日本へ来るためには、それなりの費用が必要になってしまう。それに見合うメリットがなかったら、誰も来ない。
さらに日本の経済状況が悪化すれば、単純な就労目的の移民も来なくなるだろう。
もちろん、その時は「難民」もいなくなるに違いない。