メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

私の話し相手になってくれる就学生の友人たち

先々月以来、インターネットの無料電話を使ってトルコの友人たちと何度か通話した。その度に『下手なトルコ語がますます下手になっているなあ・・・』と思いながら、それでも一応会話が成り立っていたことに喜んでいる。
というのも、この1年ぐらいの間、日本語で思う存分話したいことを話す機会が殆どないからである。唯一の話し相手は、配送センター等で一緒に働く若い就学生の面々だが、長くても滞日2年程度の彼らと少しややこしい会話を成り立たせるのは非常に難しい。
また、かの国々で「運転手」に対する評価はあまり芳しくないのか、ちょっと相手にされていない雰囲気を感じることもある。
その中で、わりとすんなり打ち解けてくれたのは、パキスタン等のムスリムの就学生たちではなかったかと思う。これには、私のイスラムに関するささやかな知識が役立った。彼らも『この運転手、結構良く知っているな』と少しは認めてくれたのだろう。
わけても、インド人のサイードさんは、とても親しく良き話し相手になってくれる。在留資格の分類からすれば、彼も日本語学校に通う“就学生”には違いないが、“出稼ぎ”的な傾向など全くなく、日本の文化に興味を懐いて学びに来た真摯な“留学生”である。
日本に来て間もないため、やはり日本語の会話には困難が伴うけれど、日本の歴史・文化に関する知識ばかりか、中東を始めとする世界の情勢にも詳しいので、彼の話を聞いていると実に楽しくなる。
イードさんの弟は、インドからトルコへ留学して、現在、トルコ企業の社員であるという。私たちには、なんだか不思議な縁があったのかもしれない。
弟さんは、ギュレン教団系の学校でトルコ語を学んだために、トルコ警察の取り調べを受けたりしたそうだ。共に学んだインド人留学生の中には、トルコから国外退去の処分を受けた人もいるらしい。こんな話を驚いたりわくわくしたりしながら聞いている。

私はサイードさんと知り合って、イスラムの世俗化・政教分離には何の支障もないという説はやはり確かに違いないと感じている。

彼は、トルコの標準からすれば、かなり信仰に篤いムスリムだが、日本の社会で何の不都合もなく暮らしている。日本の人たちの多くは、職場などで身近に接しても、彼がムスリムであるとはなかなか解らないだろう。「インドから来ました」と自己紹介され、『ああインド人か・・・』で終わってしまったのではないかと思う。
そのインドは、トルコの倍以上のムスリム人口を有する“政教分離の国”なのである。
バングラデシュから来た就学生のオヴィさんも良き話し相手の一人である。しかし、彼はムスリムではない。バングラデシュの人であることが解って、「セーラム・アレイクム」と挨拶したら、「良く知ってますね。でも、私にはナマステでいいんです。私はヒンズーですから・・」と言われた。
オヴィさんは、私に限らず誰とでも分け隔てなく親しくなれるようだ。配送センターの仕事も熱心にてきぱきこなすから、長距離トラックの運転手さんたちとも仲良くなっている。オヴィさんのためにと言って、わざわざ地元で穫れたジャガイモを10キロもお土産に持ってきてくれた運転手さんもいる。
誰とでも親しくなれるのは、多分、オヴィさんの個性によるものだろう。しかし、彼がバングラデシュヒンズー教徒のマイノリティーとして生きて来たことも、その協調性と無縁ではないような気がする。これは、もちろんサイードさんにも当てはまることだけれど・・・。

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