配送センターでは、ネパール人やベトナム人の就学生らが働いているけれど、管理者の方たちの話を聞くと、どうやらベトナム人就学生の評価が高いようである。
もちろん、ネパール人就学生の中にも一生懸命働く人はいるし、少々怠慢なベトナム人就学生もいる。しかし、送迎車を運転しながら、現場でも一緒に働いている私の印象からしても、全般的にベトナム人就学生の方が態度は良いような気がする。
かつての儒教の影響なのか、ベトナム人就学生には、年長者に少し配慮しているところが窺えるけれど、ネパールやインドの人たちには、それよりもカースト制の影響が強いのかもしれない。
ネパール人就学生の中には、かなり親しくなったように感じているのに、未だに私を「運転手さん」とか「ドライバーさん」と呼ぶ人がいるので、ちょっと悲しく思ったりする。
ベトナム人就学生の多くは、私の名前が分からなければ、「おじさん」とか「おにいさん」と呼ぶ。彼らに「運転手さん」と呼ばれた記憶はない。
23歳の就学生が、59歳の私を「おにいさん」と呼ぶのは、日本語にすれば少し変だが、韓国語で「ヒョンニム(お兄さん)」は先輩に対する敬称だから、ベトナム語でも同じような使い方をするのではないだろうか。
私に「先生」と呼び掛けるベトナム人就学生もいる。ヒンズー教インド人の就学生が、「おい、運転手!」と私を呼んだら、彼は「おじさんに失礼ですよ」とたしなめていた。
一方、インド人就学生の「おい、運転手!」は、それなりにフランクな親しみを込めた言い方なのかもしれない。
インドではエンジニアとして働いていたという26歳の青年が、何故、日本語を学んでみようと思い立ったのか良く解らないものの、多少協調性に欠けるところがあるから、インドの社会でも余り巧く行かなかったという経緯も考えられる。
だから、この青年の言動を殊更取り上げるのは良くないけれど、先日、集合場所に安全靴を履いて来なかったので注意したら、彼は実に興味深い反応を見せた。
「安全靴など履いていたら、労働者みたいでみっともない」と言い放ったのである。
彼の家は、カースト制においてもバラモンの階級らしい。私に対しても、当初は多少遠慮があったのに、何の権限もない単なる運転手兼作業員であることが解ってから、とても「フランク」になったところを見ると、やはりカースト的な考え方が「おい、運転手!」や「労働者みたいでみっともない」の背景に潜んでいるような気もする。
ところで、彼は「ヒンズー・ナショナリズム」の代表者であるかの如く、ヒンズー教の伝統を称える保守的なヒンズー・インド人だが、トルコでは、保守的なムスリム・トルコ人のエンジニアよりも、西欧的な革新左派のエンジニアの方が、「みっともない作業服のユニフォーム」に抵抗を見せていた。
これは、1999年から2003年にかけて、アダパザル県クズルック村にある邦人企業の現地工場で働いていた時の印象に過ぎないが、イスラムには万人平等と年長者に対する敬意の思想がある所為か、現在の福岡県の配送センターでも、ムスリム・インド人のサイードさんを始め、群馬県に引っ越してしまったパキスタン人就学生の面々も私にある程度の敬意は示してくれたように思う。