メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

皆で汗を流す日本の現場

配送センターには、「特別運行便」と呼ばれるトラックも入ってくる。これは荷下ろしを運転手が行わない契約になっているトラックで、荷下ろしは配送センターの作業員に任されている。 

先日、「特別運行便」の荷物をネパール人就学生と二人で下ろし始めたところ、就学生が「このトラックの運転手さんは何故来ないのですか?」と私に訊く。 

私は「そういう契約になっている」と答えてから、「ネパールでは運転手が荷下ろしをするんですか?」と訊いてみた。トルコでは「運転」と「荷下ろし」も分業されており、運転手が荷下ろしを手伝うことさえ余りなかったからだ。 

どうやら、これはネパールでも同様らしい。「いやあ、ネパールの運転手はやりませんねえ」と笑っていた。 

もちろん、管理者は管理だけ、エンジニアもデスクワークだけで現場の作業を手伝ったりしないのだろう。管理者やエンジニアが、作業員らと共に汗まみれになって働いたりするのは、日本以外の国々では珍しい光景であるかもしれない。 

韓国では60年代以降、日本の企業から技術を導入した影響なのか、90年代でもエンジニアがユニフォームを着て現場作業に携わっているのは珍しくなかったけれど、今はどうなっているだろうか? 

2015年頃、イスタンブールの工事現場で、建築エンジニアの青年が作業員らと共にセメント袋を運んでいたので驚いたが、彼はその数年前、日本のゼネコンによる海峡トンネル工事で働き、日本人の上司から現場の作業もするように教えられたのだと言う。

日本の企業が技術と共に、こういった風習まで伝播しているのは、なかなか良いことじゃないかと思うのだが・・・。 

ところで、日本的な「皆で労働」の風習は、いつ頃から始まったのだろう?  

太宰治の「斜陽」に、華族だった主人公らが、戦時中、軍の主導による作業に駆り出され、不慣れな労働にもたついて下士官に怒鳴られる場面があったと記憶しているが、「身分を問わず、誰もが国のために汗を流して働く」というこの総動員の体制から「皆で労働」は始まったのだろうか? 

仮にそうであったとしても、総動員体制の是非はさておき、私は少なくとも「皆で労働」が良くない風習であるとは思いたくない。 

しかし、総動員体制で国のために流されたのは汗だけではなかった。血も流されていたのである。これを肯定的に語るのは難しいかもしれないが、華族であっても、士官学校を出ていなければ一般兵卒として招集されていたそうだ。身分を問わずに血も流されていたらしい。 

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